全没

花籠に埋もれさうなる甘茶仏

歯牙にもかからないような句しかできませんでした。

生まれて初めて、花祭りというものに参列しました。
大寺の花御堂は思いの外質素な造りで、天蓋に御座すお釈迦様の前に、盛り花四基だけ。その花盛に囲まれたお釈迦様は盛り花のなかに埋没しそうに小さいのです。
式の最初から陣取った甲斐あって、散華三枚いただいて帰れたのがせめてもの救いです。

地元代表して

耳成のつねよりまろし霾曇

風が強いせいか、黄砂の降り積もりは見られない。

盆地は言ってみれば大きな窪みだから、黄砂も集まりやすいはずだが、ヘルメットのフェイスが叩かれるというほどでもなかった。畝傍も、耳成もすそは靄がかかっているようだが、頭の部分は目視できるレベルで、幾分稜線がいつもよりまろやかである。

花粉症が幾分治まったかなと外出してみたたが、今日は黄砂を含む風のなかに身を置いたためか、泪がやたら止まらなかった。
明日は、結社の吟行を法隆寺でやるというので、地元代表としてがんばってみます。
そう言えば、あすは花祭りに当たる。今まで、花御堂、灌仏にはまったく縁がなかったので、法隆寺仏生会には真っ先に駆けつけようと思う。

花数50万株

チューリップ園で習ひし歌のまま

明日からチューリップまつりが始まるそうな。

馬見丘陵公園恒例の、チューリップだけで何万株あると聞くが、これらが一斉に咲いた丘の景色は壮観である。
去年の暮れの畑の手入れに始まって、寒中の球根植え、そして雑草取りなど多くの人の手が入っていよいよお披露目である。
県立で駐車場も入園料も無料とあって、レジャーランドの少ない当県では大人気で、おそらくこの週末はまわりの道路もひどく渋滞することが予想される。
花粉症がやや緩和されてきたので、来週の平日にでも行こうかと思う。

帰って来いよ

軒の品定めもしたりつばくらめ

番がしきりに声を交わしている。

交わしては、また農家の軒に飛び込んで元の電線に戻ってくる。
どうやら、巣作りに適しているかどうか各家の軒を調べているようである。
家によっては、風にキラキラ光るディスクを吊してあるところもあるが、燕はあまり気にしないようである。むしろ、カラス除けのお守り代わりになるのかもしれない。
近所にも二三日前飛んできたグループがいるので、さて居着いてくれるかどうか。
去年まで雲雀が降りていた宅地にとうとう建て売り物件ができてしまって、今年は雲雀君の声も聞こえなくなって淋しいので、燕君たちが気に入ってくれるといいな。

風のいたずら

桜散る山の公衆電話にかな
花吹雪山のポストの仁王立
花屑の風紋たえず変化して

今年の花吹雪は豪快である。

短期間に満開になっただけあって、散るのもタイミングを合わせたようで、いつもの三々五々ではなくて一度に散ったというところだろうか。
舗装道路にこぼれた花屑が、砂紋、風紋を描くようにして右に左に風にもてあそばれるのも、いよいよ春が深まった感を強くするのだった。
桜吹雪が、無人の電話ボックス、郵便ポストに降りかかるのを見るものとてなく、当尾の里の春はたけてゆく。

完敗

花吹雪くぐる観光バス沸けり
花吹雪フロント叩きバス沸けり

JR、バスを乗り継ぎ浄瑠璃寺へ。

いまどきまさに花の御寺で、

当尾は花巡礼の人の波

浄瑠璃寺は九体寺ともいわれ、平安時代の九体仏が唯一現存する寺として有名。関西花の寺二十五霊場、西国薬師四十九霊場ともなっていて人気の寺だ。あたりは当尾(とうのお)の里と呼ばれ、むかしは南都のお坊さんの隠棲の地で、塔が立ち並んでいたことからそう呼ばれるようになったとか。石仏も有名でハイキングに訪れる人が多い。

今日は、朝ちょっと手違いがあって、現地に着いたのがもう昼食時間帯。ゆっくり拝見する時間とてなく、自宅から現地に至る途中で見たものだけで詠むしかなく完敗。
心静かな状態におかないととても俳句にならないことを実感したのであるが、同時におのれの未熟さもさらしてしまったようだ。

晴姿

門口に幼見送る入学児

着飾った両親に手を引かれた新入学児。

随分早い入学式だなあと思いながら、その後ろ姿を見送ったが、心なしか、新入生は鞄が歩いてるような感がしないでもない。
最近は児童の鞄の中身がドリルやら練習帳などでふくれあがって、新入生でも六、七キロはざららしい。高学年ともなると十キロもある子がいるとも聞く。
体重の何割もあるようなものを、あんな小さな肩に負わせるのだから可哀想な気もするが、子供たちも負けずしっかり体力をつけてほしいものである。