糸ほどく気配のみえて金縷梅
まるで手品師の仕掛けを見るようである。
冬の間はあれほど小さくて固かった花芽がふっくらとしてきた。あのなかに糸をまきまきしているのだ。それを一斉にほどいて万作独特の形の花が飛び出すのだ。
もう少し経過を見ていこうと思う。

めざせ5000句。1年365句として15年。。。
糸ほどく気配のみえて金縷梅
まるで手品師の仕掛けを見るようである。
冬の間はあれほど小さくて固かった花芽がふっくらとしてきた。あのなかに糸をまきまきしているのだ。それを一斉にほどいて万作独特の形の花が飛び出すのだ。
もう少し経過を見ていこうと思う。
欠けめなく角芽出そろふチューリップ
公園のチューリップの球根が芽を出した。
暮れから年初にかけて植えていたので意外に早いと思ったが、思い出してみれば球根たちのなかには植えたときにすでに芽を出し始めていたのがあったので不思議ではない。
だが、ここ数日同じ寒さの中にも冷え込みが穏やかになった途端芽を出すのだから、その生命力のたくましいことよ。
もう春の駆け足が聞こえてくるようだ。
きのふけふ数へるほどのいぬふぐり
四温晴というのだろうか。
ようやく、春のさきがけらしい日に恵まれた。
ここ一週間ほど、鼻がむずむずするため用心にマスクでしっかりガードして散歩へ。
枯れ野に下草が芽生えてはきていたものの、青きを踏むとまでいかなかったが、今日は犬ふぐりがぽつぽつ咲き始めているのに気がついた。春は一歩ずつ前へ進んでいるのはまちがいない。
ただ、さすがに最盛期のように満天の星とはいかないようで、数はひいふうみいようと数えられるくらいのもの。
鳥たちも一部は春の囀りではないかと思える鳴き方をするものもいて、春の先取りをいただいたような日であった。
春霜や猫と覚ゆる侵入痕
先日雪が降った朝、道路から玄関に点々と足跡がついていた。
最近、女の子を探しによくやってくる猫の足跡のように思う。
わずか二三センチの、浅い雪だったのですぐに消えてなくなったが、それにしても雪をもかまわぬ恋猫であることよ。
その後も相手が見つかってないのか、毎日二三回は巡回しに来るようである。
恋敵はとうに姿を消して、この子だけが取り残されているようである。
バレンタインの日も過ぎたし、チャンスは残り少ないぞ。頑張れ、頑張れ。
赤だしと鯖煮のバレンタインの日
老の身二人の暮らしには縁のない日かも。
赤味噌には旨味を引き出す成分が多いということを最近聞いて、久しぶりの赤だしのお椀である。鯖の味噌煮も色濃くて、チョコレート色に似ていなくもないが、メニューはこの日を意識したわけではなさそうだ。
隠し味にもいいということで、酒粕もよく使っているようだ。
何でもかんでも入れればいいと言うので、パンを焼くのにも酒粕を入れているようだが、普通より膨らむようでそのマジックには驚かされる。
発酵食品バンザイである。
菜の花を供へ作家の忌日かな
命日に供ふ菜の花盗られけり
春は黄色から始まる。
その代表が菜の花だろう。
関東では房総の花畑が話題になってる頃だ。
昨日12日は、生前菜の花を愛したことで知られる司馬遼太郎の命日で、「菜の花忌」とも呼ばれる。
先月末、この命日に供えて最寄り駅から記念館までの道路沿いに並べられた菜の花の鉢が、何ものかによって切り取られるという暗然とするニュースが届いた。
三千本のうち八百本が切り取られたそうで、悪戯にしては度が過ぎており、偏執的な気味悪ささえ感じてしまう。
花は切られず、蕾だけが狙われたということだから、もしかしたら売り飛ばすための一種の畑泥棒なのかもしれない。なんとも罰当たりなことだ。
収穫したばかりの米が盗まれたり、畑からメロンがごっそり盗まれたとか、世も末というか、国が衰退してゆくとは、この類いのことが日常化、常態化してしまうということだろうか。
産院にタクシー着いて春の雪
最近越してきた若い夫婦に赤ん坊が誕生したらしい。
数日前に家の前にタクシーが來ていたとき、産院へ出かけるのであろうと思ったのは、自治会に入会されたときに、産み月が近いと聞いていたからだ。
一週間ほどしたら、二階ベランダには干し物がいっぱいある。無事にお産もすんでなによりだ。