短い雪景色

梅枝のより梅らしく春の雪

雪が雨に変わって、みるみる雪が解けていった。

解けるまでは、水分をたっぷり含んだと思われる雪が、梅の花や枝に積もっている姿は、やはり梅は梅らしい形をしている。
地面がすっかり雪に覆われて、餌を探すのであろう、ツグミが珍しくその梅の枝にきてあたりを見回していたが、諦めたようにまたどこかへ去って行った。

雪が解けて一安心かと思ったら、また明日から明後日にかけてこの冬一番の寒気、荒れ模様だという。

枝垂はまだかいな

段丘を屏風に野梅開ききる

「野梅(やばい)」とは梅の種類であるが、俳句ではもちろんそんな厳密な使い分けはしない。

つまり、品種、色、形などは問わず、「野」にあるごとき「梅」を指すようである。したがって、梅林とかきちんと専門家が手を入れた、管理された梅とは異なる、ちょっと距離をおいたものを漠然と言う場合に使われることが多い。

そう言えば、うちの白梅はだいぶ開いてきたが、紅の枝垂梅はいつもより花期がずれてまだ蕾は固そうである。

マッツァカ

親藩の天守なき跡梅白し
鈴屋の移築の先の梅白し
武家長屋守継ぐ子孫梅白し

本居宣長の花と言えば「桜」だ。

その書斎「鈴屋」が松阪城址に移築されて今は、「本居宣長記念館」になっているという。
桜の季節には桜まつりが開かれるが、それに先だって同じ城址に小さな梅林があり市民の和みとなっている。

天守は早くに焼失したままで、再建されることはないが、築城の名手・蒲生氏郷が築いたという石垣は残されている。
高校生の頃だったか、友人と訪れたことがあるきりで、その後一度も足を運んでないが、見上げるように見た石垣の素晴らしい記憶は鮮明だ。高山さん(藤堂高虎)の石垣とは比べものにならない立派なもので、やはり氏郷が連れてきた穴太衆の手になるだけある。
氏郷はまた、城のみならず町には商人を集めておおいに経済活動を促したことが、その後の商都・松阪の名を高らしめたことはよく知られている。
松阪は元は松坂と書いた。呼び方は「まつざか」ではなく「まつさか」。地元では「マッツァカ」と発音する。

夫婦和合の神事

春ごとの神のまぐはひおほらかに

毎年第一日曜日が飛鳥坐神社の御田植祭(おんだまつり)。

朝から雨とあって人出が少なかったようだが、これが幸いした。
飛鳥の小高い丘にある神社拝殿前はごく狭く、午後2時から始まる神事を確実に見るには午前中から場所に陣取って辛抱強く待つ必要があるのだが、雨のおかげでのんびりと午後一時頃でも充分神事が行われる舞台が見える場所に立つことができた。
第一部が恒例の御田植祭。これは一種の予祝行事で一年の豊作を祈願する神事。
そして、第二部が大和の三大奇祭といわれる所以となる子孫繁栄を祈願する夫婦和合神事。天狗とお多福がおおっぴらに舞台の上で「種付け」とよばれる演技を行う。何とも開けっぴろげのおおらかな神事だ。その後枕紙を丸めて会場に投げ、キャッチできたものは子宝に恵まれるという。

かくて、春の祭を堪能して、気がつけばいつの間にか雨が止んでいた。宮司によると「日時になりて雨の止み」と昔から伝わっているそうである。今年も目出度し、目出度し。

高騰一服と聞く

高騰のキャベツ値下がり春来る

名前に違えない日和だった。

気温もぐんぐん上がって、ちょっと歩けば汗ばむほど。
風も春のブリーズのようだ。
ただ、明日は本降りの雨だとか。そして、来週はまた寒さがぶり返すらしい。
久しぶりにカテゴリーが「春」に戻った。

今日の鳥。
ヤマガラ、モズ、メジロ、シロハラ、シメ、ジョウビタキ、ルリビタキ、トラツグミ、ツグミ、ウグイス、ヒヨドリ。

寸足らず

蒲公英の全き球の絮透けて
蒲公英の絮の真円全けく

写真に撮ってないのが残念だ。撮ってきた。

蒲公英の絮

それくらい、見事な球で、絮を通して向こうが透けて見えるという、今まさに飛びゆこうという寸前の状態である。
これを句会当日に詠みたかったのだが、思うようにものにできなかった。
今日も試してみたが、寸足らずの説明に終わっているのが悔しい。

手練れならこれをどう詠むだろうか、聞いてみたいものである。
明日は立夏。
これまで夏を待たずに夏の季語ばかりを詠んでいたので、たまには春の季語も詠んでみた。

機嫌良くお願いします

先住の鶯巡り来る団地

ポストから朝刊を取り出したまま聞き惚れている。

あの、桐の花のある森と住宅地の境界あたりで谺するようによく聞こえてくる。
この住宅地は山を切り崩して造成したものだから、鶯にとっては人間たちはとんだ侵入者なのだが、まだまだ緑が多く残されているせいか、機嫌を損ねずに唄ってくれているようだ。

今年はずいぶん早い時期から鳴いていて、ますます喉には磨きをかけていそう。夏にはさらにいい声を聞かせてくれるだろう。