飛鳥京からみた香久山

香久山の意外に低し花樗

山ならぬ丘の形(なり)負ひ花樗

万葉の森の花樗

昨日は桜井市「森とふれあう市民の会」主催の鎮守の森を観に行こうかいで、近鉄大阪線大福駅を出発点に同耳成駅に帰ってくる、香久山を時計回りに一周するウオーキング。

香久山の東側麓に「万葉の森」という散策の径が整備されており、ここでも草木に因んだ万葉歌碑が道々に建てられている。今月上旬の奈良公園ではまだ開花していなかった栴檀も、下旬ともなるとこの散策路を覆い被せるように満開だ。

万葉の森
散策路は北から南に向けてゆっくりと登り道となっており、その道が尽きる辺りを分岐してさらに登り道を進めば香久山頂上に行き着くという。
スタートしてからずっと気になっていて何度も地図とにらめっこしてはそれらしき辺りを見てきたのだが、いったい香久山とはどの山をさすのか、はっきりとした確証が得られずにいた。盆地の平らな部分に単独でいる耳成や畝傍ならば遠目にもすぐに見分けられるのだが、香久山だけは今日まで分からずにいたのである。

万葉の森を香久山の南側に降り、さらに西側に回って、飛鳥の雷の丘から真っ直ぐに北上する県道24号線沿いの奈良文化財研究所藤原旧跡資料室のあたり、飛鳥京の東に出てはじめて香久山の姿をはっきり確認できたときは、ようやくつっかえがとれたような気がした。さらに言えば、この資料館は飛鳥京からみると香久山を借景とする位置に建っていると言える。
香久山は単独の山ではなかった。それに、意外に低かった。だらだらと小高い丘陵やその間に集落を形成しつつ多武峰の方から飛鳥京に向かって山が降りてくるのだが、南北に連なるその最終の丘が香久山だったのだ。その姿形は飛鳥京からしか見えないとも言える。しかもそれは一部にすぎないのであるが。

持統の見た「白妙」とは、ほんの目と鼻の先ほどの距離だったにちがいない。歌のなかでは「干すらし」と推測しているが、実際には肉眼ではっきりと分かっていたと思うのだ。

狩の練習

尾の傷のまだ新しき蜥蜴かな

みぃちゃんたちを保護する前の話。

子供たちが遊んでいるところへ、みぃちゃんが何かを咥えてやって来て、それを子供たちに与えた。どうやらそれはまだ動くもので、子供たちには手に負えないものらしく、時折みぃちゃんが咥えては子供たちのところに戻している。
目をこらしてみていると、なんと哀れにも尻尾の根元からちょん切れた大きな蜥蜴だった。どうやら狩の稽古にと囚われの身となったらしいが、尻尾を切っても逃げられなかった蜥蜴にとってはピンチなのだ。
みぃちゃんたちを追っ払い葉の陰に隠れた蜥蜴を救出して逃がしてやったのだが、めくれ上がった傷口が妙に生々しかったのが今でも目に浮かぶ。今頃は新しい尻尾が再生しているといいが。

今日は第51回 鎮守の森を観に行こうかいで、香久山の周囲を歩いてきますので予約投稿です。前回のようにいい吟行にもなったら明日から暫くシリーズとする考えですが、さてどうなりますやら。

いつの間に

ひさかたの土に親しみ蛇苺

みぃちゃん騒ぎでここ数日は畑どころでない日々が続いていた。

夕方ひさしぶりに畑へ降りてみると、途中あぜ道に蛇苺がびっしり生えている。しばらく前には小さくて黄色い花がいっぱい咲いてるなあとしか思っていなかったのは、どうやらこの蛇苺の花だったらしい。今は直径1センチにも満たない小さな実だけど、もう立派に真っ赤に熟しているようにも見える。
名前からして毒々しいが実際は食べても問題ないらしい。ただ、まずいだけである。

窓を開ける

薫風や羽影の主の誰ならん

窓を開けるのが心地いい季節だ。

風の取り込み口は低く、逃げ口はより広く高くするのが最も風が吹き抜けるコツだということだ。今日はそうするまでもなくわずか開けるだけで十分快適な外気にふれることができる。13時40分、机の上の温湿度計は気温27度、湿度27%を指している。こんな日は戸外で動けば暑いと感じるだろうが、室内で静かにしていればこのうえもなく気持ちがいい。

何をするともなく庭を眺めていると、何の鳥だろうか、鳥影がよぎるのが見えた。

賢い木

おのが空占めてたくまし花樗

あふち(楝、樗)とは栴檀の古名だという。

成長力もあるらしく、狭い場所でも他を押しのけて自分の空を確保できるくらいたくましい。
5月12日、万葉植物園の楝はようやく芽立ちしたばかりで、みっちりと咲く花は葉がもっと茂ってからのことなので想像するのみであるが、楓と競ってその頭上に枝先を伸ばしているさまを見ているとこの木は賢い木なんだろうなあと思うのだった。

ま幸くあらば

飯を盛ることなく椎の落葉かな

仮宿に盛飯なかりし椎若葉

万葉植物園ではところどころ草木が詠み込まれた歌碑が建っている。

大きな椎の下には有間皇子の歌碑があった。

家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る(有間皇子 万葉集 巻2-142)

高校の教科書にあった懐かしい歌である。謀反が発覚し熊野に行幸している斉明天皇のもとに送られる途中詠んだ歌だと、後になって知って深い感慨を覚えたものである。

この時期、椎や樫などが若葉を茂らせるようになると古い葉がしきりに落ちる。「椎若葉」も「椎落葉」もともに夏の季語であるが、かたや新しい命を、いっぽうは去りゆく命を詠む。歌碑の周囲一面の椎の落ち葉は、若い命を散らせた皇子と重なって見えてくるのだった。