信貴の嶺の肩なだらかに若葉山
山はもう夏模様である。
ふっと見上げた信貴山の頂上からなだれるように若葉の稜線が落ちてくる。
桜のピンクがまさにフェードアウトするかのように、かすかに残像を刻んではいるが、もう春の山ではない。若芽がいっせいに芽吹いた後すでに若葉が展開してないと、あのように黄緑色が迫ってこない。
季節はいつもの年よりもはるかに先に進んでいるようである。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
信貴の嶺の肩なだらかに若葉山
山はもう夏模様である。
ふっと見上げた信貴山の頂上からなだれるように若葉の稜線が落ちてくる。
桜のピンクがまさにフェードアウトするかのように、かすかに残像を刻んではいるが、もう春の山ではない。若芽がいっせいに芽吹いた後すでに若葉が展開してないと、あのように黄緑色が迫ってこない。
季節はいつもの年よりもはるかに先に進んでいるようである。
客吸うて店春塵の人ぼこり
ちょこちょこと外出の多い日だった。
帰るたびに上着の埃を払うのだが、それでもくしゃみ連発。
空気が乾ききっているので細かな粒子の埃、花粉、いろいろ混じった大気に花粉症持ちの身には厳しい一日だった。
昨日からマスク着用が緩和されても店内はほとんどの人がマスク。3年もの間すっかり馴染んでしまったものはそう簡単に外すことはできない。
外に出ればマスク越しでもくしゃみがひどい。杉花粉は乾燥している今がピークかもしれない。
半島の南に雪の降るといふ
昼前ごろから雨模様となった。
その後ときおり音たてて降ったり、また止んだりの連続で気温は全く上がらない。
天気予報では南部山岳地帯は雨が雪になっているという。
数日前、熊に体当たりされて谷に落ちた登山者も雪降る大峯の山中であった。次に晴れたら遠くの峰が白く見えるかも知れないと思う。
年が明けても平年より寒い日が続くと言うから、今年はこころして冬に向かわねば。
二杯目の椀をつきだすうなぎ飯
うなぎがなくてもたれだけでうまい飯が食える。
それがお気に入りのうなぎ屋。
相伝のたれで長男以外は引き継げない。したがって支店も出さないという頑固なうなぎ屋である。
土用の丑の日は休業で、うなぎを地元の海に放流して供養するというのも今の世の中で変わっている。
コロナ以来出かけてないし、本当に久しぶりのうなぎかば焼きとたれのセットが届いた。
ふだんはまずご飯をお替りしない家人もこの日ばかりは二杯目に挑戦。残ったたった一切れの尻尾でも、残ったたれを茶碗にたらせば軽くいっぱいはいける。下品と笑わば笑えである。旨さには勝てない。
七つの子鳴つてかはほり天下かな
六時の合図の放送があって、まもなくうす暗くなってきた。
かわって蝙蝠が空に乱舞する。
蝙蝠は夏の季語だが、実質的に夏同然の今。早く暮れればそれだけ早いご出勤になる。
虫も多いようだから食うものには困りますまい。
ワクチンを打つまで鮨を遠ざける
生鮮、とくに青ものを食べたときに出るようだ。
そこで医者に調べてもらったがとくにアレルギー反応はないと言う。
もしかしたらアニサキス症かもしれないというのだが、基本的に家人とは同じものを食っていて一方の私には発症しないというのだから合点がゆかない。
去年の冬から春にかけておきているので季節性もなさそうである。
魚、それも刺身が好きな家人だが、もうしばらくは我が家の食卓に刺身はのらない。ただ、たたいた鰹は何度か出たがそのときは問題なかったらしい。
明日にコロナワクチンの予約しており接種終わるまで自制しているようだが、刺身が食べたくて仕方がないらしい。
論理的に考えてもおかしいような話だが、さてどうなるやら。
唐黍の髭ちりぢりに揺らぐなし
丈は不揃いだがどれも熟しはじめたようだ。
それぞれ髭が焦げはじめてきて受粉もうまくいっているのが証拠である。
あとは太るのを待つばかり。
玉蜀黍というのは虫にやられることが多く、とくに無農薬で無事に収穫までこぎ着けるのはむずかしい作物である。
蛾の一種が天辺の穂に卵を産みつけ、幼虫がそこから茎の中を食い破って柔らかい実まで食い荒らすからである。
そこで、今年はその蛾の活動期のピークを外して種を蒔いてみた。播種の前倒しと後倒しである。おかげで今年は二回植え付けすることができて楽しみが倍加したことになる。
油断はできないが二回目の玉蜀黍は順調のようである。