自転車をこぐ初夏の寒さかな
自転車の風が冷たい。
初夏とはいえ今日あたりはまたまた4月に逆戻りのようである。
夏寒しというほど夏は進んでいないし、浅い夏ならではの、春と夏とが交差するような日々の連続である。
連休が終わった途端浮かれた気分は否が応でもしぼんでしまうような夏寒とも言えようか。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
自転車をこぐ初夏の寒さかな
自転車の風が冷たい。
初夏とはいえ今日あたりはまたまた4月に逆戻りのようである。
夏寒しというほど夏は進んでいないし、浅い夏ならではの、春と夏とが交差するような日々の連続である。
連休が終わった途端浮かれた気分は否が応でもしぼんでしまうような夏寒とも言えようか。
柿若葉雨をふくみて下垂るる
柿はつぼみも顔を出してきた。
枝先が多くの葉をつけて重たそうであるのに加え雨をたんまり受けて、それだけの重量を支えるだけの太さ、硬さをもたない若い枝がいっせいに垂れ下がってしまった。
枝振りが悪くなったので、昨年思い切って切り下げて新しい枝の成長を促したのがどうも裏目になったようである。
上へ向けてしっかり伸びて行けるよう、一から仕立て直しが必要のようだ。せっかく若葉を茂らせてきた柿には気の毒だが、この雨が止んだらちょっとした手術をせねばなるまい。
水筒の水もだらけし暑さかな
日向へ置いておいた水筒の麦茶がもう生温い。
曇だと聞いて油断していたのだが、予報にさからって強烈な日差しが肌を刺す。この時期は水分補給に注意しないと身に危険がおよぶので注意しているのだが、さすがに夏日には冷たい茶なり水がありがたい。
生温い水、麦茶となると爽快感に欠けてしまうので、喉の渇きをいやすには物足りない。
明日からは保温バッグにでも入れて持ち歩かねばなるまい。
今日から名実ともに夏。熱射病対策はおこたりなく。
楢枯の騒動止みて樫若葉
生き残った樫たちが遠目にもはっきりと花をつけたようだ。
この2,3年ほど酷い楢枯に襲われて、このあたりの樹齢の進んだ楢などが多く枯れてしまったが、生き残ったのを誇るように樫などが全身クリーム色となって山腹のところどころをせり上げるように咲いている。
若葉が日一日と色を濃くしていくいっぽうで、樫などの仲間がモザイクを染めるように山を彩り、いかにも初夏の山の様子である。
日差しもずいぶん強くなって、戸外に長くいる場合はサングラスが必需品。帽子もキャップから、麦わら風の素材のパナマ帽へと変化。家の中はまだまだ春のようにマイルドに過ごせるが外との行き来は大変で、そのたびに服装を換えなければならないのは困ったことである。
約束の筍とどくチャイムかな
チャイムが鳴ったので自治会費の集金かと思いきや。
恒例の生駒山地の筍である。
聞けば、年々収穫が不安定になっているらしいが、今年も辛うじて収穫できたもののうちから何本かいただいた。ありがたいことである。家人曰く、掘りたての筍は包丁がさくっと入るということである。
さっそく今晩のメニューは筍ご飯に、筍入り春巻き。畑のサラダ玉ねぎも口に溶けるように柔らかい。
水腹にくちくなるなり花は葉に
気温計は29度。
いっぺんに夏になって、着るものをつぎつぎ脱ぐは、茶を何杯も飲むはでなんとも忙しい。
最近どういうわけか、水分をいっぱいとると夕飯が食えなくなる。いわゆる水腹でそれだけで腹が膨らんでしまうのである。
午後はあちこち用事があって、その途中に竜田川、三室山のそばを通りかかったら桜の名所もすっかり葉桜になっていてすっかり初夏模様である。明日からまた並に戻るというが、あっというまに春が去ったという実感もある。
くるくると展がりそめし柿若葉
身の回りはすでに夏の季語だらけである。
たまたま今日は寒い雨で、おまけに黄砂まで覆ってくるということだが、連日の暑さで梅は1センチほどの実を結びはじめたし、柿は小さな若葉をひろげようと背伸びをしているみたいだ。
この柿の葉で三つくるめるくらいになると、隠元豆の蒔き時だと昔から言われている。そのでんで言うとまだちょっと早いと言えるのだが、これだけ季節が先へ先へ進むのなら少々フライングでも問題なかろう。
これと同じように、合歓木の花が盛りを過ぎたら豆を、すなわち大豆だが、まけとも言われている。
このように、自然のものに即して農事をさだめるのは先人からの知恵だが、現代にも十分通用する考え方であろう。
ホームセンターへ行けば夏の野菜の苗がこれみよがしに店先に並べられている。つい手が伸びそうだがさすがにそれは早計であろう。いまだ遅霜のおそれもあるわけで、自重自重。