逃れられない

渋滞を抜ける細道雲の峰

それは見事な入道雲が横並び。

暦の秋とはうらはら。
空も、地上の熱も悲しいほどに真夏である。
その向こうに台風が控えている空とは思えないほど碧い。
予報では15日くらいに10号が上陸するやもと。
このまま西日本に向かえば、8年前の紀伊半島豪雨と同じコースをたどるらしい。
歴史は繰り返すと言うが、自然も同じこと。小さな存在でしかないものはただ従うしかない。

ワンコイン

空にしてボトルに清水汲みにけり

滝もいいけど山清水、谷清水もいい。

苔清水、草清水もある。
ふくんでみて甘いな、うまいなと思うとボトルにつめて持ち帰りたくなる。
なかには、ちゃっかりワンコインで売ってる清水もあって商魂たくましい。

涼しさの尺度

打たれては滝を裏見の菩薩かな

東吉野吟行。

涼しかった。と言っても三十度はある。
盆地より五、六度低いから、それでも涼しいと感じてしまう五体である。
先月の兼題句会で「滝」を詠んだばかりなので、もうひとつ興が乗らなかったが、それでも実際の滝を前にすれば何とか見えてくるものがある。
今日の「投石の滝」は何年か前に見たときよりも水量が多く、そのすさまじい音に圧倒された。
近くには寄れないが、一直線に落ちる滝の後ろに菩薩だろうか苔生した石仏が飛沫を浴びながら鎮座されているのを詠んだのが掲句である。

真っ赤っか

夕焼の濃きを没して生駒かな

いいところを全部生駒がもってゆく。

夕焼けの一番濃い部分がいつも山の影に沈んでしまうのだ。
だから、生駒山地の東の麓にあるわが家ではきれいな夕焼け空というのを滅多に見ることがない。
梅雨の頃、大気にたっぷり湿気を含んだ夕空がそれこそ真っ赤になるほど焼けるのを見ることがあるが、当地ではまず見られない。
それだけが残念である。

ノブ灼ける

七トンの渡船西日をもどりくる

小鳴門海峡のグラビアがきれいだ。

干潟の隙間を縫って通う渡船に、通勤通学の自転車の順番を待つシルエットが浮かぶ。
橋があるらしいのだが、歩道もなく坂をのぼったところにあるのでこちらの方が便利なのだという。
行程二分だが、四季折々の眺めが慰めてくれるという。
わが家は西に生駒山系を背負っているので、夕焼けなど西の夕景を楽しめないが、その分西日のあたる時間もいくらか短くてすむ。そうは言えども、西日の当たる玄関のドアノブをさわるには勇気がいる。

働き方改革

郵便の束もて配る日の盛り

最近郵便の配達時間が早くなった。

と言っても、午後2時過ぎなのだが。
郵便というものは午前中に来るのが当たり前という基本認識があるので、当地で下手すると夕方6時頃にもなってしまうと一日損したような気持ちにさせられていた。
それがここにきて急に繰り上がったのは、ノルマ廃止など局でも働き方改革なるものが始まりつつあるのだろうか。
それにしても、暑い日盛りに、熱いバイクにまたがって各戸に配るというのは苛酷な仕事である。せめて午前中に終了できるよう体制強化などできないものだろうか。

蚊の襲来

打水の念には念を入れてまた

打ち水をする端からタイルが乾いてゆく。

少しでも涼をとろうと、とくに西日が強い玄関まわりを中心に何度も水を打っている。
これがここ数日の夕方の日課であるが、暑さとの戦いでもあると同時に蚊との戦いでもある。
腰に蚊取り線香をくゆらせながら。