五感

端居してテレビの予報聞くとなく
端居して聴覚だけの五体かな

涼しい場所を選んでは暑さ除け。

とくに何すると言うこともない時間が流れてゆく。
目は庭木などを眺めてはいるが、耳にはいろんなものが飛び込んでくる。
道行く子供たちの声、蝉の声、そう言えば最近鶯の声が聞こえなくなったな、とか。
朝もまた暑い日なんだろうかと考えながら、隣室につけっぱなしにしているテレビの予報に自然と耳をすませている。
このとき、五感は聴覚だけが働いている。

烏の行水

髪洗ふ床屋の仕上げ気に入らず

下手すると日に何度も髪を洗うこともある。

朝の野良でひと汗、昼寝でも汗、ちょっと運動しても汗。
簡単なシャンプーで済ませるものもふくむが、着ているものをすべて脱いで全身を洗い流さねばとても過ごせないような日が今年はやけに多い。
風呂にしたって、冬ならば15分も浸かっている風呂も、さすがに今は烏の行水程度。温度も体温に近いレベルまで落としてちょうどいい。体を温めるというより、汗さえ流せればいいのだ。
使う石鹸も頑固に固形。
木の葉髪だが、洗う時間は昔と変わらない。風呂ひとつはいるにも、毎日きちんと守っているルーチンが狂うと何かヘマをしでかしては叱られてはいるが。

水神さま

水筒に摂社の清水受けにけり

奈良には水の神を祀った社が多い。

雨が少ない盆地にとって、山からしみ出す水は大変貴重なところから、それらの安定的な確保が欠かせなかったためであろう。
ちょっとした神社の隅にいってみると、水神さんが見つかることが多い。飲料にも適した水をいただくこともできるので、ちょろちょろと湧き出す水を辛抱強く待ちながら、水筒の水と入れ替えることもある。

葉陰に覗くもの

青柿の細枝撓む若木かな

人の背にも届かない柿が実をつけている。

見たところ、3、4歳の若木だが、隣の老木に負けない強さがある。
柿は八年というが、今ではホームセンターで売られている苗木でさえ実をつけていることがある。接ぎ木によるところが多いのであろう。
野菜では苗の成長を優先して、一番果は小さいうちに摘んだり、採取したりすることが普通だが、接ぎ木であればそのような配慮もしないで済むというものだ。
はたして、落ちることなく秋まで残るのはどれだけあろうか。

極意

片耳の水鳴るプール帰りかな

頭傾けてけんけんと跳んだり、熱い石を耳に当てたり。

だが、めったに水は抜けてくれなかった。
ときには床に横になるときまでごろごろ感がつきまとって、非常に不快である。
ところがあるとき、裏技をさずかって試したところ、百発百中水がころっと抜けたのだ。
極意は、蛇口に頭傾けて、つまった耳に水道水を掛け流すのだ。
理屈はよく分からないが、すぐになま温かい水がどろっと出てくれてその爽快感といったら。
騙されたと思って一度お試しあれ。

野菜高騰とか

夏負に豚肉摂れの所見かな

疲れた患者が殺到しているという。

点滴受けてる人も多いと聞く。
然もありなんと思う。
そのせいか、どの患者にも「水飲め」、「豚肉を摂れ」と勧めているようだ。

野菜が高騰しているという。
今日は暑いのは変わりがないが、いつもよりちょっとだけしのぎやすい。で、朝のうちに秋茄子の仕度完了。
今年は胡瓜が病気で全滅。ミニトマト、茄子だけが頑張ってくれてるので、茄子の新しい芽がでるのを期待したい。

クールジャパン

お団子に結って涼しき発表会

何か、どこか、涼しいのはないだろうか。

こんなに逃げ場のない暑さというのは初めてだ。
こうなれば、こちらから日常の中に「涼しさ」を求めなければならない。
「クール」とは文字通り「冷たい」、転じて「人が冷たい」という意味だが、最近は「かっこいい」という意味に使われるほうが多いようである。
クールジャパンはいいが、この暑さでインバウンドニッポンがしぼまなければいいが。