立体

横顔は烏天狗のマスクかな

立体的なマスクのことである。

呼吸とかずいぶん楽なんだろうか。その昔マスクといえば風邪のときと決まっていて、ただでさえ鼻が詰まって息苦しいのにガーゼを当てたマスクをさせられるとさらに苦しいものだった。
最近では花粉症対策など一年を通じてマスクをしている人もいて、マスクの素材、種類、タイプもいろいろ改良されてるようだ。
ようだというのは、幸か不幸か、実はこの10年以上というもの風邪を引かぬようになってマスクとは無縁であったから今時のマスクの使用感がわからないのだ。ありがたいことだ。

高気圧の恩恵

カトレアを窓辺にかざす日和かな

今日は珍しく一日中快晴の奈良盆地だった。

移動性高気圧が近畿地方上空をゆっくりと進んだためである。
部屋に取り込んだカトレアのうち、咲き始めのものを窓際に移して光をたっぷり注いでやることにした。

お地蔵様のような

蓑負へる童子立つごと寒牡丹

當麻の石光寺では寒牡丹が始まったようである。

境内の花壇は手に触れるように近くから花が間近に見られる。
霜や雪から守るために藁の霜囲いをしてもらった牡丹はまるで蓑を背負った童子のように愛らしい。また、じっと見ていると霜囲いに守られた小さなお地蔵様のようにも思えてくる。2月頃まで楽しめるのだが咲き始めの今の方がより清楚にみえていいかもしれない。

生駒冬晴

山頂だけ冬日の当たる生駒かな

晴れていても北西、つまり大阪の方角から次から次へと雲がやってきてしかもそれが厚い。

そんな奈良盆地では冬日を楽しむというよりは、雲に隠れてしまったお日様が再び顔をのぞかせるのをひたすら待つ、そんなことの繰り返しである。今日も王寺の街から生駒山地を仰ぎ見ると日が当たっているのは生駒山の頂上だけ。そこに、雑木紅葉が終末を迎えて赤茶けた部分がくっきりと浮かんで見えた。

冬の楽しみ

靴裏に欅落葉の厚みかな

七十二候では11月末から12月初にかけて「朔風払葉」という。

冷たい北風が木から葉を落としてしまう時候のことをいうが、まことにこの頃は町中のいたるところで吹きたまった落ち葉が見られる。駅前などではよく欅などが街路樹として採用されるので、ビル風に飛ばされた落ち葉が歩道に吹き寄せられてるのを見ると、ついその上を歩いて感触の柔らかさを確かめたくなる。
最近は落ち葉を燃やして焼き芋を楽しむことができなくなったので冬の楽しみがひとつ減ったことになるが、清掃員が片付けるまでの短い期間だけが残された楽しみとも言える。

12月の雪

初雪のもはや嬉とおもへざる

今朝目を覚ますと周りは真っ白だった。12月に積雪を見るのはずいぶん久しぶりだ。

「ああ、これで今日はどこへも行けないな」と覚った。タイヤの冬準備は全くしてないので、最初の関門である家の前の坂をおりることができないからだ。ボーナスサンデーでもあるのでいろいろ予定していた人たちも多いだろうが、出鼻をくじかれたことだろう。
さらに、今日は第二日曜日なので町内清掃日なのだがこれも憂鬱だ。

歳とともに雪を素直に喜べなくなったことは寂しいものだが、最近は子供たちでさえも雪で遊ぶことはあまり好きでないようで、外で遊ぶ子を見かけることはなかった。

重い空

木枯らしの行き着く先は飛鳥かな

今日の風は冷たかった。

信貴山から背中を通り越して行く木枯らしは、そのまま真っ直ぐ南に向かうと飛鳥の里に達し多武峰にぶつかる。
その先の山は今夜あたり雪かもしれない。