ポジションランプ

弾正が最後の山の冬木立

空鉢護法堂のある雄山の頂上に木立のシルエットがくっきり浮かぶ季節となった。

この冬木立が平群谷のどの角度からもはっきり認められる頃は、燃えるような雑木紅葉が終盤を迎え、山が赤茶けいちだんと冬めいてくる時節だ。
信貴山城の跡でもある雄山頂上へは、信貴山寺本堂からさらに700メートルの階段と千本鳥居をくぐり抜ける厳しい道である。
たどりついた護法堂のすぐ下には想像を超えるような規模で信貴山城跡があり、最後まで信長にたてついた弾正が平蜘蛛の釜とともに爆死したと伝わる場所がそこにある。
麓の立野地区は山城の出城として数段の大規模な立野城があったところで、町の目立たないかたすみに弾正の慰霊塔がある。地元では人気の武将でもあったらしい。
夜ともなると、空鉢護法堂のあたりに灯りがともされて、それは盆地の遠くからでもはっきりと見えるほど明るい。
その上空を伊丹方面へ降りてゆく旅客機のひっきりなしに過ぎるポジションランプがきらきらと美しい。千メートルもない低い高度だが着陸なので静かにである。
星も月もいちだんと輝きをます季節となった。

骨が感じる

うたた寝のいかんいかんの風邪ごこち

何となく骨に来ているような。

はっきりととした風邪ではないが、骨ごとだるいような、まるでインフルにやられたような。
夕方日が沈みかけて一気に冷気に襲われてくると、うたた寝に落ちようとする身に警告を発しているようだ。
こういうときは要注意。
今夜は早く寝ることとしよう。

火の用心

非常食食す団地の師走かな

恒例の防災訓練デー。

消防署から指導員を招いて団地住民の啓発活動である。
消火器の訓練は、消化剤にみたてた水をいかにスムーズにターゲットに当てるか、防火栓をどうやって開け、使うか、など専門家から指導があり、それが終わると非常食の試食会。カレーあり、シチューあり、パスタあり。米も水や湯で戻すだけで三分ほど待てば、付属のスプーンで美味しくいただける。そう、防災食と侮るなかれ、結構これが美味いのだ。
あれこれちょっとずつ試食するともう一食分腹に入った勘定で、昼食はスルーである。

昔は暖房など火に頼らざるを得ず、また空っ風もあって冬は火事の多い季節だったので、火事は冬の季語となっている。石油ストーブを使う家の割合も減っているが、やはり冬は火の用心である。

正時のメロディ

カリヨンの帰宅うながす冬野かな

公園もクリスマスの準備に追われていた。

立派なツリーに光り物をいっぱい吊るし、花壇にはトナカイの張り子を配置したり、木々には電飾のランプをつけたり、準備着々と進んでいるようだ。
週末の今夜当たりからスタートするのかもしれないが、こんなひなびた公園のライトアップを見に来る人がいるのかどうか、ちょっと疑問だが、これもまた県の事業なので事業効果はお構いなしなんだろう。
二三年前に通りかかったが、当たりは真っ暗で夜が底冷えするような内陸で、とくに人で賑わっているようでもなかった。

公園の一画にカリヨンの丘と称して、正時に同様が流れる仕組みだが、音色は北風にきれぎれで明瞭には聞こえなかったが、午後三時のメロディは「故郷の空」のようだった。これから一気に日が落ちていくとともに、気温もぐんぐん下がる時間帯を迎え、帰宅をうながされているように聞こえてくるのだった。

気を揉む

羽づくろひときどき潜き浮寝かな

今日は珍しいカイツブリを見た。

いつもの池にいるのは小型だが、今日のは鴨並の大きさで羽の色も首から胸、腹にかけて白っぽい。
鳥撮りのひとに尋ねると、カンムリカイツブリだと言う。
寝ているようでいて、ときどき羽繕いしたりしてはまた眠る、かと思うとちょっと潜ったりして、いまは一体何に没頭しているのやらよく分からない。
毎年やって来る水鳥もほぼ出揃って、あとは陸上の冬鳥たちの到来を待つばかりである。双眼鏡をもって散歩するにしても、まだ活躍の機会は少ない。早く来てくれないかと気を揉む毎日である。

歯は抜かずに治す

抜歯して逢わねばならぬマスクかな

昔は前歯が欠けたまま平気な年寄りを見かけたものだ。

現代にさすがにそういう人はみないのは、予防対策の普及やら医療の進歩による効果なんだろう。
ただ、歯というのは大変微妙なもので、ちょっとでも歯がかけたり、抜いたりして、それまでのそれなりのバランスがとれたりしていたものを崩すようなことをすると、それが他の歯にたちまち影響を及ぼして、まるで玉突きのようにあちこちおかしくなるところがある。
それが、また歯の問題だけではなくて、他の臓器や部位に飛び火してしまうようなことが多い。
やたら、歯を抜くのを勧める歯医者は注意した方がいい。できるだけ抜かないで対処する処置を考えてくれる医者をさがしたほうがいい。
身近に親知らずを抜かれたがためにすっかり体調を崩したものがいるので、よけいにそう思う。

すくっても掬っても

凩の天下御免の大路かな

信号待ちをしていると突風が吹いて落葉がからから鳴りながら横断歩道を飛んでゆく。

奈良公園一帯には高い木が多く、頭上高くから長い軌道をひいて落葉が降ってくる。
これが道路を越えて向かいの敷地にまで達したり、達しなくても塀際に落葉溜まりをつくる。毎日毎日落葉を掻く日課はさぞ大変だと思うが、広大な敷地を持て余した屋敷だけは落ち葉の嵩をまして側溝はもちろん道路までも覆っている。
園丁さんは落葉をこまめにすくっては袋に入れ、風の仕業に手を焼いているようだ。