とある日の雨やはらかき十二月
冬ぬくしのさなかの雨である。
午前中はどんどん曇り空が厚くなってきて気温が朝より下がってきたのではないかと思っていたのだが、午後になって雨となるや逆に柔らかく感じるほど暖かい空気に変わった。
ゆったりと人心地する時間に浸っていると、十二月の真っ只中にいるとことさえすっかり忘れるほどだ。
年末からは寒さが戻ってくるようなことを言ってるので、それまではせいぜい楽をさせてもらおう。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
とある日の雨やはらかき十二月
冬ぬくしのさなかの雨である。
午前中はどんどん曇り空が厚くなってきて気温が朝より下がってきたのではないかと思っていたのだが、午後になって雨となるや逆に柔らかく感じるほど暖かい空気に変わった。
ゆったりと人心地する時間に浸っていると、十二月の真っ只中にいるとことさえすっかり忘れるほどだ。
年末からは寒さが戻ってくるようなことを言ってるので、それまではせいぜい楽をさせてもらおう。
広き川狭く使うて鴨の陣
小鴨が幅広い大和川のごく一カ所に密集するようなかっこうで群れている。
陣を敷くと言いうよりは、仲間同士集まって休んでいるようである。そう意味では浮寝の集団というほうが正しいかもしれない。
ここらはヒドリガモが多くいて川幅いっぱいに群れていたのだが、最近は数も少なくそんな光景も見られない。
環境の変化か、あるいはここよりはもっと居心地のいい場所が見つかったのか。渡り鳥にとってこの国がいつまでも頼りがいのある国であるように。
ストレッチ四肢よく伸びて冬ぬくし
足の小指を痛めて散歩に出られない日が続く。
運動不足はまずいので、せめてエアロバイクで有酸素運動し、最近流行の筋肉体操もやり、音楽がなくても体にしみついたテレビ体操をこなすなどすると、体がぽかぽか温まったりしていいことづくめ。
天気もよく、冬とは思えない暖かさに、しばらく思案していた庭の片付けにも着手。
ついでに洗車もしてやりたかったが、時間切れで今度に持ち越しとなった。
無灯火の少年寒さものとせず
家の前の坂を無灯火の自転車が猛スピードで下ってゆく。
寒い時期だから帰路をいそぎたい気持ちはわかるが、夕方の通勤で交通量が増えている時間だから、事故となったら簡単ではすまない、きわめて危険な行動であるのはあきらかである。
かつては足こぎで発電するランプが主流でその分ペダルが重くなるのが億劫だったけど、最近はリチウム電池を使ったLEDランプが明るいうえ、点滅するだけでも遠くから確認可能である。ランプは前照灯としての役割だけではなく、存在を知らせるものとしても大変有効であるので、若い人にはぜひ利用してもらいたいものだ。
枯菊を焚いて平群の夕けぶり
風もなく煙りが山襞を埋めるように漂っている。
山に挟まれているので逃げ場のない煙がとどまっているのだ。
空はといえば久しぶりの大夕焼け。底は谷間特有の暗さがつのってきていて、幽玄な趣さえある平群の谷である。
平群町は小菊の産地。山が烟るのはおそらく山の菊畑を焼いているのだろうと思われる。田仕舞ならぬ菊仕舞である。
丈ほどに猫の爪研ぐ障子かな
気がつくとまた爪痕が増えている。
どれも背伸びした高さに四筋の跡がくっきりと。
畳に座ると目の高がちょうど破れているわけで、張り替えてもすぐに破られるイタチごっこなので、とうとう張り替えの頻度も落ちてゆく。
今の猫どもは子猫時代壁紙を相手に爪研ぎする癖にほとほと手を焼いたが、秋に来た子はやたら紐の類いをかじる癖があってその防御に躍起である。
猫を飼っているかぎり、この悩みは尽きない。
犬猫の寿命伸ぶ世や漱石忌
12月9日は漱石の忌日。
お札の顔にもなった立派な風貌だが、持病の胃病には悩んでいたというのは有名である。
当地奈良であの子規の柿の句が生まれたのも、友人漱石から借りた旅費10円があったからだ。
子規は人をものにたとえて呼ぶ癖があり、柿は漱石を意味する暗号コードだとも。あの有名な句は漱石への挨拶句というわけだ。
我輩君は終生名前のないまま不慮の死をとげるが、わが家の猫どもはそろって立派な和名の名をもらっていまのところ病気知らずである。
9月に迷い込んできた虎君も2キロ近くまで大きくなって、いたずら盛りの10歳の少年というところだろうか。