野菜高騰

信貴の雪載せて降りくる旦かな

引き続き天気が不安定である。

大きな音がするのでトラック通過かなと思ったら、どうやら雷のようだ。
冷たい寒気が上空に侵入してきたのかもしれない。
下は雨ないし霙なのに、道路を見ていると、信貴山の方から降りてきた車の屋根には雪が積もっている。はるか眺めやれば100メートルほどより上は白い。
外の気温は4度。予報ではさらに寒気が降りてくると言うから、いずれ下も雪景色に変わるかもしれない。それはそれでいいだろうが、程度というものがある。ただでさえ坂の町で出歩くのが億劫であるのに、足下をとられるようであれば買い物にも不便しそうである。
プランターの大根一本を引き抜いて、野菜高騰へのささやかな抵抗をしてみせたものの。

建国の地

コンビニの傘裏返るしまきかな

冬の嵐である。

家を出るときは晴れがのぞいている空だったが、今日の吟行地橿原に近づくにつれ雲行きが怪しくなってきた。例によって葛城山に黒い雲がかかり盆地南部はまぎれもなく雨である。
突風も吹いて、吟行気分はどっかへ吹っ飛びそうになる。今日の天気を甘く見て傘も持ってこなかったので、コンビニを何とかみつけ間に合わせた。
すでに9日となって寒に入っていることもあり気分は新年ではないが、橿原神宮なのでここは初詣風景として詠んでも問題はなさそうである。
長い参道をぬけて拝殿近くとなってようやく青空も見えてきた。畝傍山の稜線がくっきり浮かび、正殿の千木,鰹木が燦々と輝いて神々しい。

雨去つて畝傍日当たる初景色

サービスに頼る

褻のものを荷にもぐらせて年逝かす

大晦日の渋滞を承知の発送である。

急な事情で帰省できなくなった子供たちにお節を送ると言う。
函のなかをのぞいてみると蜜柑やら、大根やら東京でも買えるものだが、それも親心だろう。
今年一年も家族みんな無事で過ごせた喜びを、ささやかな形にして荷物に託すのだ。

果たして、今日の明日に着くのかと思ったら、大丈夫という。
だから、クロネコヤマトは頼れる。
年末年始の特別手当をたっぷりはずんでくださいね。

今年も下手な俳句にお付き合いいただきありがとうございました。来年も体が言うことをきいて、頭が呆けないかぎり一日一日を精進していきたいと思います。
みなさん、よいお年をお迎えください。

柝を打つ

雨が來て出鼻折らるる夜番かな

昨日は自治会年末恒例の夜回り。

忘年会をかねてすっかり出来上がっているので腰は重いが、ようやく行こうとなって外へ出れば予想外の雨が降りはじめている。予報にもなくみんな驚いたが、間もなく止みそうだと分かっていても、一度萎えた気持ちは再び戻ることはなく、今年は中止となった。
まだ酒は余っている。形だけ一度柝を打ってから、河岸を変えないでの飲み直しとなった。

笑って年越し

年忘一期一会のひと混ぜて

毎日のように忘年会という日々があった。

あそこへ出て、こちらへ顔出して。
同じような面子と何回も同席したりすることもしょっちゅうで、お互いにそれをなんの不思議もなくこなしている。
いっぽうで、忘年会の場が初顔合わせだったりすることもある。
「はじめまして」
「お噂はかねがね」
「どうも、どうも」
てなくらいの挨拶ですぐに溶け合うというのも忘年会ならばこそ。
あれやこれやを笑いで済ませてひと夜楽しく過ごせばそれでよし。
義理の忘年会に出なくてよくなっただけでも、ハッピーな「余生」である。

帽子が似合う人

冬帽の座高の高き男かな
冬帽の黒づくめなる緒形拳
冬帽の影の銀幕よぎりけり
冬帽を脱げば暴るる寝癖髪
退院してからが闘ひ冬帽子

座高の高いひとの後ろの席は迷惑する。

あるいは礼儀正しい人で、威儀を正すように背筋を伸ばしてるのかもしれないが、映画館などでは背もたれにだらしなく凭れていただくほうがむしろ場にふさわしいと思うのだが。
帽子愛用派としては、こういう場合帽子を脱ぐようにこころがけているのだが、なかには帽子を被ったまま平気で座っておられる御仁がおる。室内では男は帽子を脱ぐものとされているが、最近はそれもやかましく言われないようで、それは帽子が紳士のものだけではなく、子供から老人まで、夏だってすっぽりかぶるなどファッションとしても、ふだん着としても広く使われるようになったからでもあろう。

かつて出会った帽子の似合う人として緒形拳をあげる。一流の俳優というのは遠くからオーラを放つもので、新幹線の乗り換え口ですれちがった全身黒づくめの男にただ口をあけて見送るだけだったことがある。
冬帽ではなかったかもしれないが、中折れ帽も黒なら、ジャケットもシャツもズボンも真っ黒。すらっと伸びた長い足に釘付けとなってしまった。同じ俳優で上原謙などもいかにも似合いそうだが、男臭さという点では絶対緒形のほうが魅力的である。
最近の人気俳優で、帽子が似合うと言えばはたして誰なのだろうか。すぐには思いつかない。

白熱灯の温み

電飾の昼の仕掛の冷たさよ

古墳しかない公園にクリスマスイルミネーション。

周りには、田んぼのほか何にもない真っ暗なところに突如として現れた。クリスマスウィークの間だけらしいが、なんでまたこんな自然公園に電飾までして寒い夜に人を寄せようと言うのか。
最近の電飾というのはLEDが主流だから、明るくてクリアな光りが特徴だが、灯りのトーンはどちらかといえば寒色系ではなかろうか。耐久性、経済性などには優れているが、従来の白熱電球とは異なって、どこか光りに温もりが感じられないのだ。
車で横目で見ながら通り過ぎただけだが、翌日昼間訪れてみると、木々や植栽などに配線や電球などが絡まっているよう
にも見えて、またまた寒々しくも映るのだった。