再会

大年の空掃き清め細雪

久しぶりに外の店で昼食を食った。

冬休みとあって混んではいたが、ふだん見かけない垢抜けした若い男女がちらほら混じっている。帰省中の学生や勤め人などが久しぶりに旧交を温めているようにも見え、ほんとにこの冬休みは束の間のコロナ休戦なのかもしれないと思えた。
我が家も3年ぶりの親子再会となった。次回会えるのはいつのことか先のことは見通せないが、行く年を親子で過ごせることもまたよきかなである。
昼食を終わって外へ出るとちらほらと雪が散ってきた。天気は悪くないので風花かもしれないが、大年を締めくくるのにふさわしい雪見舞いである。

年月

机辺のもの棚に師走の晦日前

ふだんの座もさすがに片付けようという気になる。

と言うてもいつも座っている今の卓の手の届く範囲だけど。
まして今年は娘たちの帰省もあるのでその場をあけねばならない。
するともう何十年と使い込まれた卓の塗りがあちこち剥げているのがあらわれて、ほとんど子供たちの齢と変わらない卓の年月がいとしく思えるのだった。

あらたまる

満タンにして洗車機の年用意

水が極端に冷たくなってきた。

もともとクルマを洗うのは好きでないが、齢とともにますます億劫になってきた。
ここ二年ほどは一度も洗った記憶がない。
今日は頼まれて原付バイクのガソリンを満タンにしてきた。原付だから満タンといっても3リットルもいかない。
ただ、正月に向かって「満タン」という響きは悪くない。年があらたまるということは気持ちもあらたまるのであるから。

自治会

寒柝やかあと一杯ひつかけて

二年ぶりに寒柝の声を聞いた。

毎年年末になると住民の自治会役員の忘年会をかねて夜回りに出るのが習いになっていた。
「いた」という過去形なのはコロナ禍で忘年会も夜回りも中断していたからだ。
それが今年行われたということは自治会活動もようやく再開されたということだろう。
ただ、再開されてもこのあと第六波感染が広がれば自治会活動もまた低調になりかねない。
自治会活動というのは歷史的にある意味行政の下請的な役割を負っていて、広報の配布やら自主的な防犯防災活動などさまざまな活動が組み込まれている。
寒柝の拍子木なども行政から補助があったりして、夜回りなどは防災活動の一翼を担っている。
数年役員をつとめたが、まづは一杯ひっかけてから寒空に向かったものだ。

防護

床屋嫌ひの髪をのぞかせ冬帽子
はち張りの七難隠す冬帽子

何年も同じ帽子をかぶっている。

形がよくて気に入ってるわけでもないのだが、耳まですっぽり包み込んでくれるのが暖かくてもう十年以上の愛用品である。とくにここ数日は身が切れるように風が冷たいので必需品である。
若い頃から帽子はわりと好きなほうで、一時はハンチングを愛用してもいたことがある。夏でも冬でも必ずと言っていいくらい帽子をかぶる。逆に、この寒空や酷暑でやや薄くなりかけたひとが無帽でいたりするのをみたりすると大丈夫なのと心配してしまう。
帽子は暑さ寒さから頭を守ってくれるだけでなく、ものにぶつけたりして傷つくことも防いでくれる。気候が極端に触れるようになった昨今は積極的に着用して身を守りたいものである。

疎林

とがりゆくものに鉄塔大冬木

櫟が通るたびに葉を落として日々裸になって行く・

同時に梢が空に向けくっきりと突き刺すように樹形がとがりゆく。
さらに顔を上げれば高圧線の鉄塔が高く聳えているのが見える。
その奥には信貴山の雄峰が控えていて、その頂上あたりも木立がすっかり葉を落として冬木立の疎林のように空が透けているのが分かる。
この櫟が裸木になるのも近い。
雪が降るかもというのでどこへも行かぬつもりだったが、今日はとうとう何も降らなかった。

消耗品

ゴム裂けて手袋沁みる水仕かな

毎朝の日課。

起きたらまず猫どもの餌やり、後片付け(みんなきれいに平らげる)。それが終わるとトイレの交換、掃除である。
冬は朝早くのトイレの水洗いはさすがにつらい。
最近目には見えない亀裂があるらしく、ゴム手袋に水が沁みるようになってさすがに新しいものを買ってもらった。
消耗品とはいえ案外簡単に使いものにならなくなるものだと思う。