使い道

竹伐って古墳の裾を明るうす

竹が全体を覆っている。

もはや墳丘の形も覚束ないほど茂るに任せているが、ある日通りかかるとすっかり裾刈りされていて墳丘のおまんじゅうが姿をあらわした。
伐られた竹はすべては持ち帰られることなく散乱している残渣もあるが、古墳にしてみれば久しぶりに風が通ってさぞすっきりした気分であろう。
竹は陰曆8月頃に伐るのがいいと言われそれが季語として定着したのであるが、今では竹の使い道もかぎられ需要もめっきり減ってそのような配慮も顧みられることもまれであろう。

スリット窓

窓枠の影歪みゆく閨の月

夜中に尿意をもよおして気がついた。

すっかりあきらめていた名月だが、あれは3時頃だろうか寝屋のスリット窓からはっきりと月光がさしていたのだ。
月はすでに傾きかけているので、四角の窓の影が間延びしたようにいびつに落ちている。
部屋に戻って窓により見上げたらうすいながらもはっきりと円い名月が空にある。
得したような気分になって蒲団に横になったらすぐにまた眠りに落ちていた。

別腹知らず

小さめのおはぎ二個食ぶ秋彼岸

あっさりとしたお萩を作ってくれた。

手作りだけあって大きさに微妙に差があるが、昼食後だがはじめから二個食うつもりで小さめのものを選んでたいらげた。甘さは控え目ながら十分にてごたえのあるお萩で、餅米も少なめで苦もなく腹に入ったものである。
さて、明日は何個食おうか。
ちなみに、我が家では間食という習慣がない。甘い物はフルーツも含めて昼食後のデザートとしていただく。「別腹」は我が家の辞書にはないのである。

雲間あるか

ふるさとの古家泊りの無月かな

仲秋の名月だが雲でさえぎられて終わりそうである。

今年は月齢と満月がぴったり一致する年というので、陰曆8月15日の今日と満月が重なることになる。ここ数日は比較的晴れることが多かったので期待も大きかったのであるが、待っても期待できそうもなく無念である。

今日は渓山さんご夫婦が実家への途中立ち寄ってくれた。本来ならばお茶だけでもと家にあがっていただくのであるが、時節柄もあって玄関前の立ち話とあわただしいのは残念であったが、6,7年ぶりの再会を喜び合うことができた。
掲句はご夫婦の実家泊まりの空を想定してのものだが、少しでも雲間にのぞかせてくれればといのるような気持ちで詠んだ。

バラパゴス列島

県またぐ旅となりけり秋彼岸

コロナを口実にこの秋も墓参を失礼させていただく。

緊急事態宣言発令中だが、京都などは前週比倍近く、近鉄奈良駅前で22%増と人出がふたたび戻ってきているようだ。だが、専門家の予想では第六次の波は避けられず、この分では予想より早くやってくる可能性はある。明らかに季節的周期で感染がひろがる傾向があるので、それもお天気次第というところだろう。早く寒波がくれば換気が悪くなり、エアロゾルの密度が高まる。
コロナは空気感染であることを政府は意地でも認めたくないようだが、世界の科学者の間ではコロナは空気感染する者であるとの見解で一致している。ざるの検疫といい、PCR検査と隔離をかたくなに否定する旧態依然の対策では、日本はいつまでたっても収束するどころか、コロナバラパゴス列島になってしまいそうである。

zoom句会

晩学のホ句に親しむ子規忌かな

今日9/19日は子規忌。

くしくも今日zoom句会をもった。子規忌、穴惑が兼題である。
子規とくればカリエスやらへちまやら食欲やら野球やら、思いつくエピソードは山ほどあるがこれまで幾多の先達が読んでこられたので、これらを句にたやすく詠むのは控えなければならないというのが難しい点である。

今日の畑仕事は午前中に済ませておいた。虫喰いの白菜救済、徒長のじゃがいも救済。アブラナ科の各種野菜は順調に発芽してきた。殘り玉ねぎの苗作り、畝づくりなど次から次へと8,9月は忙しい。天気不順な今年はなおさら時間に終われる感じ。それも悪くないと思える秋である。

慣らされる

古簾退けて別景野分前

目隠しを兼ねたすだれを巻いた。

台風の進路が思わぬ方向に変わって近畿直撃との報に、風にまくれないように備えたのだ。
すっかり巻き上げると見慣れた庭がいつもとは別の顔を見せた。これはこれでいいものだが、慣らされるということは恐ろしいもので、やはりどことなく落ち着かない。
台風があっけなく去ってまたいつもの景に戻そうかと思う。
晴れてきて午後の畑を巡回したら、密に蒔いた大根の双葉が押し合いへし合い首を伸ばしている。軽く間引きしておくことに。間引き菜が楽しめるのはこれからだ。