浚渫

五月雨やユンボ動かぬ河川敷

あっという間に水位があがる。

盆地にふる雨をすべて集めて大和川はふくれる一方である。
近年は下水道の普及やら護岸工事で河川がコンクリートと化したこともあって、雨は直ちに川に流れ込む。
大和盆地は何度も水害に遭っている。大阪との府県境に極端にせまい隘路があり、そこが地滑りの名所でもあるためたびたび川をせきとめてしまうのである。近年は対策工事が完了して地滑りの不安は消えたのであるが、盆地内各所でバックウオーター現象がたびたび発生し床下浸水、床上浸水の被害がでている。
なにしろ大和川は何十もの支流が流れ込むわけで、その数だけバックウオーター現象の危険があるというわけである。我が町も三四年前に低い土地で被害にあった家屋がある。河川の浚渫を行う緊急工事もようやく終わり近隣家屋は胸をなで下ろしているだろうが、さらに豪雨がくるようだと安心はできない。

ものは試しに

熟れごろのサインみさだめメロン切る

到来の大山メロンが甘い。

一個を切るだけで相当量の種がでてくるから、もしかしたらこれを保存して来年蒔いたら家でも作れるかもと試しに種とりしてみた。一個からだけでは心配なので別のメロンからも種を採ってみるつもりだ。
ブランドメロンなので苗にはなれない不稔性処理されているかもしれないので、あくまでも遊びとしてである。
二三年前に地元種屋が開発したというメロンに挑戦し、途中まではうまくいったのだが水はけの処理をミスして枯らしてしまった苦い経験がある。
なかなか難しい果物であるが、ものは試しとやってみようと思う。

退散祈願

六月の祓に来よと案内状

6月末日、夏越しの祓の神事が行われる。

何年も前に神事に参加したときに記帳したので以来毎年案内が届くようになった。
ところが昨年、今年と案内が来ない。コロナである。
参列できなくとも、今年前半の穢れを祓ふだけではなく、コロナ退散をこそ強く願うものである。

お湿り

ひと夕立あると思へる雲たちぬ

ゆうべ待望の雨があったようだ。

ようだというのは今朝起きてみて外がいくらか湿っていたからである。だが、期待したほどの雨量でもなさそうである。
結局いつも来るぞ来るぞという予報ばかりで、しっかり降ったことはほとんどないのである。
今日も日中はかんかん照りで、空振りを予感。夕方畑におりるとようやく20分ほど雨雲が頭上を覆ったが、お湿り程度では雨後はかえって蒸し暑くなって夕立のあとの爽やかさからはほど遠い。

怖じない

網戸越し世間に猫の耳目かな

新参猫も早や二歳。

先住の姉妹弟三匹に伍して、というかときにはでかい顔して家の中を闊歩している。
これが窓の外がお気に入りらしく、とくにガラス戸を開けて網戸だけになると朝からずっと外をながめ暮らしている。蝶がくれば目で追い、隣の工事が始まりもの音がすれば聞き耳をたて、興味がつきないようである。
生まれて二か月ほどは野良で生きてきたので外の世界に怖じることもなさそうである。

エアポケット

空梅雨や水をくれろといふなすび

一喜一憂というか。

これほど天気の動きが気になったことは今までに経験のないことだ。
頭では分かってはいたつもりでも、百姓、農業というのがこれほどお天道様に依存していたとは。
水やりも自然に任せて手を貸さないと決めているのだが、梅雨期というのにこれほど雨が少ないとさすがに心配になってくる。とくに植えたばかり、種を蒔いたばかりとなるとしっかり根を張ってくれるだろうか、せっかく芽を出したのにちゃんと育ってくれるだろうか、そんなことが気にかかって天気予報と朝の空模様などやきもきしながらみる毎日である。
今日こそは降るかと期待していたが、ここ信貴山の麓の当たりはいつも雨雲が素通り。大和川から南側は比較的雨雲が通るのだが、ここだけはエアポケットのように小雨地帯である。

太鼓判

胡瓜はむ折り紙付きの歯にて食む

3ヶ月毎の点検。

歯科に通い始めて1年あまり。
幼い頃から歯には自信があり、それが過信を呼んでこの歳まで点検を怠ってきたので少々ガタがきたようだ。
1年かけて念入りに診てもらったおかげで今では一本の歯の欠けることなく太鼓判をもらうまでに。
新鮮な胡瓜をポリポリといただけるこの夏は格別である。