ずぼら菜園

草引いて三日も見ずの草の丈

今晩からいよいよ梅雨本番らしい。

台風も近づいているしまた大きな被害が出ないことを祈りたい。明日からはしばらくは畑作業もできないので今日は最後の梅雨備え。
数日好天が続いていたので湿り気も欲しいところだ。幼い苗たちが一気に伸びてくれることを期待しているのだが、さて。
草刈機の音が賑やかである。刈っても刈っても旺盛に伸びる草は農家にとっては敵。逆にわが菜園は草は大歓迎。草が根を張ってくれることで長い目でみれば土を耕してくれるからである。おまけに苅った草を畝に敷いておけば自然に堆肥になってくれるので畝づくりには欠かせない。これが営農となればそんな悠長なことは言ってられないだろうが、素人菜園ならではの楽しみというものである。

崩れない

をんなものゴムにたばねし髪洗ふ

ひっつめ髪というのだろうか。

髪もずいぶん伸びて少々うるさくなってきたのでポニーテール風に束ねている。
十分に長くはないので家にある適当なものを選んで家人にゴム紐を巻いてもらっているのだが、まるで幼子が母親に髪を結ってもらってるようでこそばゆいような気持ちだ。
今日はそのまま歯医者に行くため出掛けようとすると、「そのまま行くの?」と後から鉄砲を打ってくる。自分では別に問題ないと思うのだが、家人から見れば「みっともない」ということだろう。古稀も4年も過ぎればそんなことはもうどうでもいいと思っているのでさげすみの視線は無視することにする。
ともあれ、歯科のチェアに仰向けになってもしっかりと結んでくれた髪はいささかも崩れなかった。

光シャワー

峰雲を負ひて寡黙の畑仕事

梅雨が明けたような空。

朝方は曇っていたが昼前から強烈な日射しが戻ってきて入道雲が盆地の東に湧き上がった。
Tシャツ一枚では肩、背中がひりつくように熱い。それだけ紫外線が人間の耐えられる限度を越えていると言うことだろう。サングラスをかけていて家の中へ戻っても、しばらくは全体が緑がかったように見える。
眼球の衰え、老化ということもあろうが想像を超えるような紫外線シャワーである。

三軒隣

しもつけの町長宅の門先に

漢字で書くと「繍線菊」。

これを見てあのしもつけの花であることが分かる人がどれだけ居るのだろうか。漢字では「下野」が一般的であろう。
夏の季語であるが花期は長く、衰えを見せながらも秋にも散らずにいることが多い。
これを一般家庭の門先に植栽しているのはあまり見ないが、我が町の町長さん宅ではこれがある、三軒隣なのでよく見かけるわけだが、今年も早くから咲いている。

時間感覚

夏至の日の沈むに間ある端山かな

爽快な夏至であった。

梅雨というのに湿度が低く気温が高くとも風が涼しい。
菜園でササゲやインゲンなどを植え、信貴山の方を仰ぐと6時までにはいくぶん余裕がある間合い。夢中になっていると猫どもの夕食の時間の6時を過ぎてしまいがちなので、時刻を計るのに夕陽の位置が賴りとなっている。時計はもたなくても最近はだいたいの時刻は分かるようになった。
帰ってみれば6時15分ほど前でぴったし。
これから日が短くなってくるので、その感覚も徐々に身についてくるだろう。
ちなみに時計をもたなくなって久しい。時刻は携帯賴りだが、これも畑には持って行かない。作業するうえでポケットには邪魔なのである。飲み水や苗、菜園道具以外何も持って行かないのだ。

ナス1本が元気がない。だからすぐに虫が来る。今日は予備の苗に植え替えた。

コミュニティ

貸し借りのやうに胡瓜のお裾分け

一か月の出遅れである。

夏野菜というのは通常ゴールデンウィーク前後に定植することになっている。
するとナスや胡瓜は今頃が収穫の始まる時期である。
いっぽうで、我が菜園は二日前に胡瓜の種を蒔いたばかり。今日のぞいてみると発芽したようである。したがって収穫時期はどう早くとも8月からになる。9月、10月が盛りでいわば秋胡瓜狙いで夏胡瓜はあきらめた感あり。
そういうところで、ありがたいことに今日地主さんから採れたての胡瓜数本をいただいた。菜園仲間からもレタスとか胡瓜をいただいたりして、コミュニティにも溶けこみつつあるということか。

古酒

巣ごもりの寝しな親しむ梅酒かな

このところ毎晩のように寝る前の一杯の梅酒を楽しんでいる。

梅シロップを作ろうとして甁はないかと家捜ししていたら、記憶にない何かの果実酒がでてきたのだ。
なめてみるとどうやら梅酒である。それも相当の古酒であろう。なにしろ記憶にないほどだから相当の年数ものにちがいない。もしかしたら七年物かもしれない。
暑気払いの一杯でこの夏を乗り越えようと思う。