大仏をまづは拝して仏生会
東大寺の誕生仏はやはりワンサイズもツーサイズも大きいようである。
大寺のどこを訪ねても誕生仏の意外な小ささに驚くのであるが、東大寺さんのは甘茶の掛けがいがあるほど立派である。当然ながら御堂も見上げるくらい大変立派なもので、かつ美しい。
行きたいところは山ほどあっても昨年今年とままならない年がつづくと、いささか麻痺してきたような感覚に襲われるのであるが、あきらめてはならないことであるのは間違いない。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
大仏をまづは拝して仏生会
東大寺の誕生仏はやはりワンサイズもツーサイズも大きいようである。
大寺のどこを訪ねても誕生仏の意外な小ささに驚くのであるが、東大寺さんのは甘茶の掛けがいがあるほど立派である。当然ながら御堂も見上げるくらい大変立派なもので、かつ美しい。
行きたいところは山ほどあっても昨年今年とままならない年がつづくと、いささか麻痺してきたような感覚に襲われるのであるが、あきらめてはならないことであるのは間違いない。
ごろごろと春じゃがいまのカレーかな
あっさりとしかも柔らかい。
早採りしたいもは小さくてかわいい。そのままのほくほくを一口にほおばる。
相棒にちょっと甘味のある福神漬との相性もよく、ぺろっと一枚平らげた。
野の神の碑なぞる落花かな
夕方から雨になった。
杜の桜は遠目にも褪せてきたが、これが追い打ちとなっていよいよ葉桜へまっしぐらに向かうことになるのか。
それにしては寒さが戻ってきた。というよりは、これが平年の気温なんだろう。今までが暖か、いや暑すぎた。
しばらく平年に戻って静かに春が深まって行くのだろう。
今日は茄子の本葉が出たのをポットに移してあとひと月ほど育苗を楽しむことになる。
取り込みを忘れしままに暮かぬる
家人に言われてあわてて取り込む。
いや、洗濯物ではなく野菜の苗である。
大量生産を前提として改良された夏野菜を日本の環境で作るのはもともと無理があって、発芽や育苗に適した気温を待っていては間に合わない。そこで人工的な環境で苗作りをするわけだが、家庭菜園では育苗用のハウスなどないので、天気の様子を見ながら陽だまりに移動させながら夜は保温しながら育てるわけだ。
そのためにスーパーへ行って発泡スチロールの箱をもらってきたり、いろいろ気を遣うことが多い。
これがまあ苦にならないのは自分の手で一から育てる醍醐味であるので、むしろ楽しみながら続けることができるのである。
四月となっていよいよ日が長く伸びたことを実感する。
雨やんで雫むすべる糸桜
花散らしの雨らしい。
午後からしとしと降り続く雨は今夜激しさをまして、当町をすぎるという予報である。
毎朝窓から眺める八幡さんの杜の桜もいくぶん褪せてきたようだが、この雨では無事には済まないだろう。
人出のある花見名所には出られないし、窓からの桜がせめてものの慰めだったがその楽しみもいよいよ終了となる。
あとは青々とした葉桜が育つのを遠目に期待することになる。
季節の移ろいは身近にあるもので十分感じられる。そう思わないとコロナ禍の毎日をやり過ごすことはできない。
豆の花風来て虫もひとも来て
初めてえんどう豆に挑戦中。
意外にうまくいってるようで、順調に花もついて早くも莢が太りつつあるものもある。
総じて野菜は肥料がすぎると虫がつくということを聞いて合点のゆくこともあり様子を見ているのだが、今のところ地力で充分やっていけるようである。
莢の具合も順調。屈んでみると小さな虫が何種類もいっぱいついている。これらも害虫を捕らえたりしながら作物を守ってくれてるのだと思うといじらしく思えてくる。いきなり大きな足長蜂が飛んできたが、慌てず騒がずじっとしていたらいつの間にかどこかへ消えてくれた。
災厄の府市を隣に春愁
当県54、対して京都68.
何だ、この数字は。人口比にして大きすぎる。
明らかに当県の感染者は大阪由来と断定していい。
遊びに行くところも、うまいものを食わせるところもない当県の人たちが隣の大阪へ出かけるのは当然であるし、何よりも当県は大阪のベッドタウンとなっているのだから。
冒頭の数字から言えることは、京都の人は大阪に出ないということの証しでもある。
早々と緊急事態宣言を終了させて府市一元化にうつつを抜かしている間に逆襲を受けた格好となった。こうなることは誰の目にも明かであったにもかかわらず。
国民に我慢だけを強いる対策でウィルスを克服できるわけはない。無症状者をあぶりだし隔離、撲滅しか解決の道はないのは明らかである。