野を歩くはるかの標木瓜の花
前方にいちだんと赤が濃い低木の一段がある。
好奇心にかられてなだらかで曲がりくねった坂道をたどるとそれは木瓜の花であった。
ポツポツと咲く寒木瓜はよく見かけていたので、見事に深紅を咲かす木瓜の花とはこんな季節だったのかな?と思いながら山辺の道の次の道標を確かめるのであった。
念のため今日も予約投稿とさせてもらいました。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
野を歩くはるかの標木瓜の花
前方にいちだんと赤が濃い低木の一段がある。
好奇心にかられてなだらかで曲がりくねった坂道をたどるとそれは木瓜の花であった。
ポツポツと咲く寒木瓜はよく見かけていたので、見事に深紅を咲かす木瓜の花とはこんな季節だったのかな?と思いながら山辺の道の次の道標を確かめるのであった。
念のため今日も予約投稿とさせてもらいました。
濃淡の並木の濃きは花七分
にぎやかに桜散らしの鳥の声
もしかして卑弥呼の墓の桜かな
ヒヨドリは桜の蜜がよほど好きなようである。
先ほどから頭上でしきりに啼きながら花から花へ移っている。それも一羽ではない。
卑弥呼の墓ではないかとも思う黒塚古墳の上に昇ると濠に沿って並んでいる染井吉野が見事である。
桜並木には淡い色の部分とちょっとくすんだような濃い桜色とが混ざり合っていて、どうやらそれは満開かそうではないかによって違うようである。
蕾を多くもった木はどことなく色が濃くて、満開に近い木ほど淡いのである。
下から見上げていると分かりにくいが、高いところから見下ろすとそれがよく分かる。
六分から九分咲きくらいが今の奈良盆地の桜情報であろうか。
親戚に急な不幸があって予約投稿とさせてもらいます。
ダム堤の高き低きをつばくらめ
今年は燕が極端に少ない。
早ければ2月末には大和川から侵入するのを目撃するのであるが、家の近くでもさっぱりみない。
どうしたのかなあと思っていたら、過日訪れた崇神天皇陵の濠を縦横無尽に飛び交っている燕が初燕であった。
ここは前にも書いたように江戸時代に改修されて大きな用水池となったところで、濠の高さが十メートルもあるような天皇陵は他に見たことがない。まるでダム湖である。
今日も訪れてみたら禁制の柵を越えて草を摘んでいるグループがいた。
とうに時期を過ぎた土筆ではなく、蕨採りのようである。頭上行き交う燕には目もくれずポリ袋が大きくふくらんでいた。
箒目のつきしばかりを花の散る
月一回は天満の大阪天神さんの近くに行く。
今日がその日だが、用がすめば立ち寄ることにしていて、今日は桜がどうだろうかと訪ねてみた。
隣の繁昌亭は昼席中止の貼り紙。ということは夜はやっているとことだろうか。夜の外出自粛も呼びかけられるようになって、これら寄席や劇場、映画館というのは閑古鳥が鳴いているかもしれない。
ここ何十年と世界が経験したことのないパンデミックにより、すっかりグローバル化した経済は想像も付かないようなダメージを受けそうで、それがまた先行きの不安をよけいにあおる。
ここ数日のうちに感染数が上っ放れしそうないやな予感がただよう昨今である。
都知事がこれから何やら記者会見するという話だが、オリンピック延期がきまるまで沈默を保っておいて急にロックダウンやらなんやら説得力ない話をのたまうものだから、データも実情もよく知らされてない市民はますます不安になるばかりである。
東京タワー四肢ふんばりて春の雪
ムサシほど高さがあれば上部は雲と雪の中だ。
東京タワーだって上の方はかすんで見えないが、それだけに四方に踏ん張った鉄塔の姿には逞しささえ感じる。
意外に鉄骨は細く、雪はその間をぬけて落ちてくるのだ。
雪の風情は圧倒的に東京タワーが勝ちだ。
3月下旬の都心の積雪は30数年ぶりだという。だとすると40歳くらいのことだが、いくら思い出そうとしてもその記憶が浮かんでこない。4月の雪ならば幾らでも浮かぶのであるが。
春雨や裏参道の昼灯
しっとり濡れた参道に沿って灯籠が灯されている。
裏参道を崇神天皇陵に向けた天神山古墳に作られた古い神社である。
古墳の後円墳部分の半分ほどが国道建設のため削られており、ちょっと見には古墳に見えない。
禁足の杜の一本桜かな
不思議な景色を見た。
景行天皇陵の深い森のなかに一本の桜が灯るようにして咲いている。
この時期咲くと言えば染井吉野かもしれないが、すると誰が植えたのだろうか。あるいは他の種類だとすると鳥が種を運んできたのかも知れない。
昨日ちょっと荒れ気味なのは残念と書いたが、この桜にちょっと救われた気がした。