薬湯の素をふりかけ初湯かな
最近の入浴剤はよく温まるのを実感する。
だから入浴剤無しの風呂というのはここ何年も入ったことがないくらいだ。
冬は総じて炭酸系、泡がぷつぷつ出るタイプがいいらしい。温まるし、湯冷めしにくいという実感がある。
かくて冬は10分から15分湯船に浸かり、体の芯まで温かい血液がめぐるのを待つ。このあと1時間くらい後に寝るのが最高の眠りを約束するという。
正月といってもこのルーチンを守り昨夜は8時間睡眠を確保。
ことしもこのペースは大事にしていきたいと思う。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
薬湯の素をふりかけ初湯かな
最近の入浴剤はよく温まるのを実感する。
だから入浴剤無しの風呂というのはここ何年も入ったことがないくらいだ。
冬は総じて炭酸系、泡がぷつぷつ出るタイプがいいらしい。温まるし、湯冷めしにくいという実感がある。
かくて冬は10分から15分湯船に浸かり、体の芯まで温かい血液がめぐるのを待つ。このあと1時間くらい後に寝るのが最高の眠りを約束するという。
正月といってもこのルーチンを守り昨夜は8時間睡眠を確保。
ことしもこのペースは大事にしていきたいと思う。
カーテンの四周にもるる初明り
今年もまた素晴らしい初日の出であった。
伊勢方面の空が明るくなって、高見山あたりの雲が金色に輝き始める。
山上ヶ岳、八経ヶ岳など大峯山地はまだ黒いままである。
やがて高見山のシルエットがさらにくっきりと浮いてきたかと思うと、さっと初日が顔を出し、産土の杜が照らし出された。
その光はみるみる街の屋根を覆い、カーテンをあけて眺めていた自室にもダイレクトに光が飛び込んでくる。
その光に我にかえり思わず両手を合わせるのであった。
大年の夕より晴れてきたりけり
日中は曇りにかかわらずばかにあたたかな大晦日だった。
このまま暖かな大晦日の夜になるかと思ったが、夕方から晴れてくるとともに空気が冷たいものに変わってきて、北風も吹いてきていよいよ大晦日の雰囲気となってきた。
最後に帳尻を合わせたような天気だが、わが家にとって、はたして今年はプラスマイナスどちらに傾いたと言えるだろうか。プラスならおおいに結構というところだが、大きな災いもなかったを見るとプラマイゼロといったところだろう。目出度し、めでたしである。
応援いただいている方々にも、来年もまたいい年であるように。
節詰めて子に送り遣る小晦日
明日の午前中着を指定した宅配便。
それぞれ事情を抱えて帰って来れない子供たちへ、正月に間に合うように家人が大量のお節を詰めている。
それにしても宅配サービスというのは、この年末に荷が増えているだろうに、ほんとうにそれで大丈夫なの?と言うくらい迅速確実である。
どこかにしわ寄せが行ってるのではないか、などと思いながらつい頼ってしまっている。
いつも世話になっているネットショップも確実な宅配サービスなくては成り立たない。ほんとうにいつも本当にありがとう。
私事曝しウェブログといふ古日記
ウェブログ、すなわちウェブ+ログの造語である。
略してブログ。
インターネット上にさらす日記のようなものである。
更新は毎日という人もいれば年に数回あれば上々という人までさまざまだが、この「奈良暮らし 一日一句」はタイトルの通り毎日更新が原則である。
歳時記には「日記果つ」だの「古日記」と言って、暮れが迫ってくるとこの一年を振り返ってさまざまな感慨にひたることを詠む季語があるのに対し、ブログはページが果てるわけではないがやはり年の瀬となればページを通していろんな思いが交錯することもある。
2011年から始めて9年目が果てようとしている今、新しい10年目への転換も間近い。
手返しの頬をしぶいて餅を搗く
今年のイベントがもうひとつあったのを忘れていた。
自治会の餅搗大会と夜廻り、そして納会である。
夜廻りの方は若い役員の面々にお任せして、留守番役として陣取ったまま。
餅搗きの方は息のあったコンビが搗いた餅はやはり上手に柔らかく搗き上がるもので、後のちぎり、丸めの作業ががいちだんとスムーズにいくものだ。
軟らかい餅にまるめながら、失礼してつまんでいただくのもまた温かく美味い。
これで四年連続して役員を勤めたことになるが、来年はもう下ろさせてもらう約束になっている。
これが最後の納会となった。
としなしのものうちそろひ年忘
後期高齢者あるいはそれに近い人ばかり。
さぞや食も細いと思いきや、何の、出てくる料理は前部平らげるわ、俳人というのは元気である。
逆に言うと元気がなくなると俳人ではなくなるということ。
初めての曾根崎あたりの店で、不景気はどこ吹く風の大賑わい。梅田の辺りも意外に若い人が多くてまだ日本は大丈夫かなと。
しかし、いざ散開となっていけない。たちまち西も東も分からない迷子になってしまい、大阪市内を抜けるのに1時間以上も費やしてしまった。家にたどり着くまで2時間半、すっかり大阪の徘徊老人となってしまった。