枝肉

何の木だかぐるぐる巻の霜囲

まるで透明人間のようである。

天辺から裾までぐるぐるに巻かれて、いったい何の木だかさっぱり分からない。
幹と太い枝ばかりにまで短く剪定されているのか、冷凍庫の中の枝肉のようでもある。
たしか、秋にはすばらしい紅葉を見せてくれていた木だったと記憶しているのだが。

今日は免許更新前の高齢者講習の日。
動体視力やら夜間視力を調べてくれるのだが、想像以上に衰えているのに愕然とした。
とくに夜間は弱いうえに、今日は雨の中実技は午後5時からとあって視力が問題ということに気をつけなければならないなと自戒するのである。

War is over

クリスマス来たよとレノンラジオから

いつまでも若い声は変わらない。

子供たちと歌ふ「ハッピークリスマス」。平和を訴えて、ずっと歌いつがれるに違いないクリスマスソングの傑作だ。
ジョンレノンは永遠。

So this is Xmas
And what have you done
Another year over
And a new one just begun
And so this is Xmas
I hope you have fun
The near and the dear one
The old and the young
A very Merry Xmas
And a happy New Year
Let’s hope it’s a good one
Without any fear
And so this is Xmas (war is over)
For weak and for strong (if you want it)
For rich and the poor ones (war is over)
The world is so wrong (if you want it)
And so happy Xmas (war is over)
For black and for white (if you want it)
For yellow and red ones (war is over)
Let’s stop all the fight (now)
And so this is Xmas (war is over)
And what have we done (if you want it)
Another year over (war is over)
A new one just begun (if you want it)
And so happy Xmas (war is over)
We hope you have fun (if you want it)
The near and the dear one (war is over)
The old and the young (now)
War is over, if you want it
War is over now
Happy XmaS

2019年の句(後半)

昨日に続いて今年後半です。

これはまた色よき香よき梅雨菌
マンションの西瓜の種の吐きどころ
遊船のエンジン切つて瀞まかせ
板塀のすそ暗がりの夕化粧
一面の露の一番ホールかな
韮の花匂ひ立ちもし山雨過ぐ
きつつきに染井吉野は老いにけり
石舞台自領としたる鵙猛る
釜炊の茶粥煮えたつ冬至かな

ご覧の通り、夏過ぎて秋の初め頃まではなんとかつなぎましたが、殘りがいけません。まったく生まれてこないのです。
このようにムラがあるのが大きな課題です。
面白く思ったのが、「西瓜の種」、「韮の花の匂い」。
西瓜を手にとって種を縁側からぺっぺっと吐くこともなくなり、上品にスプーンやフォークなど使ってすっかり洋風化したものですが、高層マンションならベランダから吐き出すこともできず、もっと気取って食うのかななんて想像しながら詠みました。同級生との句会に投句して反応ありませんでしたが、自分では納得の一句です。韮の花はふだんとくに匂いが強いというわけではありません。しかし、ざっと夕立がきたら急に韮の強い匂いがたってきたのです。
「きつつきの染井吉野」は、東京にいたときよく散歩していた川沿いの桜を思い出したものです。子供が小学生の頃植えた苗木が今ではたいそう立派にそだち、両岸を覆い尽くして桜のトンネルが見事なものです。その木にコゲラたちがやってきては四季の散歩を楽しませてくれるのですが、染井吉野はあまりにも寿命が短くあっというまに老いてゆく、次々に生まれ変わっては毎年変わらず周回する啄木鳥との対比を詠んでみたかったのです。
言葉の手柄としては何と言っても「きつつきに」の句です。この「に」は原因や因果関係を示す「に」ではないことはお分かりでしょう。別に啄木鳥につつかれるから桜が衰えるのではなく、「何々に対して」とか「何々にとってはいいことに」とか、啄木鳥と桜を対比させる意味をもたせています。
また自句を説明する野暮を犯しました。

来年こそ、一年を通して安定した作句力を養いたいものです。

2019年の句(前半)

今年もこういう時期になりました。
今年の句を振り返って見ます。
なかには、当ブログに掲載しなかったものも含みます。
作成順に並べてあります。

笑み佳きに並び福笹授からむ
つまびらかならぬ古墳に若菜摘む
燃え残る若草山の春時雨
雲厚き空のどこかの初雲雀
曇天の馬酔木の房の重たしや
闘牛の小兵といふも綱を張る
かたかごのかんばせ風に伏せしまま
花筒に野辺の蒲公英足しにけり
雨に剪る供花の葉裏のかたつむり
どくだみの醜草寄せぬほど増えて

このなかでは満足の句は何と言っても「かたかご」です。大宇陀の薬草園のかたくりはそれは見事な群落を楽しめます。しかも九十九折の階段径の急斜面に咲くので、屈まなくても通路からは仰ぐような形で間近に花をしっかり見られるのです。面前に早春の冷たい風に震えているさまをみることができ、これを言い止めたいと何度も何度も言葉探しを繰り返しどれも満足できなかったのが、何日かたったあるとき不意に「かんばせ」なる言葉が降ってきたような不思議な感覚で誕生したものです。風に煽られないようしっかりうつむきに耐えている様子を詠みました。
次が「蒲公英」の「足す」、「若菜」の「つまびらかならぬ」が手柄でしょうか。
ほかには、「福娘の笑み」でしょうか。ただひとり黒人系の娘の前には誰も並ばないのを気の毒に思って顔を合わせると、にっこり素敵な笑顔を返してくれたのが印象に深く残っております。

自句を説明するのは野暮ですが、記憶に残したい句ということでお許しください。

南瓜づくし

電照菊灯る平群の冬至かな

雨の冬至となった。

ということで今日の席題は「冬至」。
幹事役得で昨日のうちに一句作成。これが今日の特選となる栄誉に。
雨と言っても意外に寒くないので助かります。帰りの電車の窓から山腹に電照菊のハウスが灯っているのが見えた。
さすが菊の産地だけに季節を問わず生産していることを知った次第。
パンプキングラタンと昨日の残りの南瓜入り粕汁風豚汁とですっかり温まる冬至とあいなった。

温まる

鰤鎌のそっとほぐるる塩加減

明日の題は鰤であるが、その鰤がたまたま今夜の卓に上がった。

鎌に沿って箸をいれればすっと身がほぐれて食べやすい。
いっぽう、酒粕入りの豚汁はお椀を持つさえ熱くなかなか減らない。最後の汁をすすったときにはもう体はぽっかぽか。
決してぜいたくではないが、冬のご馳走である。

人間観察

上席のまはりまばらに年忘

職場の忘年会というのは、日頃の人間関係が如実に現れるものである。

席の占め方にもそれは現れる。席がどこから埋まるか。
ふつう上座は上司と決まっていて、その周りにすすんで人が集まるか否かで上司の人気度が分かる。
また、最初はきちんと席についていても、宴がたけなわとなってくると自然と人気の人のまわりに人が集まるものだ。職場の忘年会を避けようというひとが増えているらしいが、このような人間模様を事細かに観察するだけで人の本性みたいなものがみえてくるもので、勉強するつもりで参加するならそう悪いことではないと思うがどうだろう。