つばくらめ更地の泥を集めんと
古い家並みの一画が更地になった。
新しい家が建つ気配もないところ、雨でぬかるんだあたりに燕が近づいた。
着地こそしないが、せわしく羽ばたきしながら泥の様子をうかがっている。どうやら巣作りが始まったらしい。
あたりは昔ながらの家が多く、巣作りにも適しそうな家がごろごろある。
さて、どこの軒裏に狙いを定めたのであろうか。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
つばくらめ更地の泥を集めんと
古い家並みの一画が更地になった。
新しい家が建つ気配もないところ、雨でぬかるんだあたりに燕が近づいた。
着地こそしないが、せわしく羽ばたきしながら泥の様子をうかがっている。どうやら巣作りが始まったらしい。
あたりは昔ながらの家が多く、巣作りにも適しそうな家がごろごろある。
さて、どこの軒裏に狙いを定めたのであろうか。
聴講の万葉集に春惜む
雨催いのなか飛鳥へ。
今日は万葉文化館研究員による「万葉集を読む」講座聴講が目的である。
引っ越して8年たつのにこのような講座があることを知ったのは、先日の飛鳥一人吟行のときである。
毎月第三水曜日午後に開かれてきて、今年で10年近くになるという。これは聞かずにおられない。さっそく年度1回目の現地にかけつけたわけである。
今年度は巻五864番歌から906番歌まで。一回当たり数歌という非常にゆっくりとしたペースで進むので、このペースで行くと生きている間にとても最後まで行き着かないのであるが、体と頭が大丈夫なうちは出席しようと決めた。
行ってみて驚いたことに、改元効果というのか万葉集への関心が高まったようで、いつもの倍くらい集まったということだ。
奇しくも、「令和」の典拠となった「巻五 梅花の歌三十二首の序」の部分は今年1月に終わったばかりで、今日はその梅花の宴を文によって知った吉田宜(きつたのよろし)が旅人に宛てた書簡の回であった。
平日だからほとんどがシニア。あらためてシニアの古典人気の高さを垣間見ることとなった。
頬白の胸美しや桃の花
冬鳥がすっかり姿を消していつもの散歩も寂しくなった。
だが、留鳥は健在で今日もたくさんの小鳥を目撃することができた。
出色はもちろん鶯でその数の多いこと。行くところ必ず鳴いていて、とくに今日は高い枝のうえから降りかかってくるのもいくつかある珍しい日であった。
花桃のフィールドではホオジロ君を発見。双眼鏡は携帯しなかったのであるが、羽根模様は肉眼でもくっきり分かる。地味な色使いではあるが、配色が絶妙なのである。華やかな桃に比べれば地味であるが、枝にチョロチョロ見え隠れする姿も捨てたものではない。
豪邸に似合ふ犬ゐる花の庭
数百メートルの當麻参道には立派なお屋敷が居並ぶ。
門から7、80メートルくらい入ったところの邸宅などは、道路からやや上り気味になっているのでちょっとしたお城にも見えてくる。
おりしも、庭の大きな桜が満開を誇っているときで、こんな家で飼われるとこうなると言わんばかりの鷹揚とした大型犬も見える。
たいしたものよと感心もするが、わが家の猫どももまあまあストレス少なく転がってるので良しとしなければなるまい。
雨兆す風に落花のしきりなる
當麻寺吟行の日。
ちょうど練供養の日に当たり、花も期待できるとあって楽しみにしていたが、予報では昼頃より雨。
10時頃山門に着く頃には急に風が変わって、いよいよ雨催いの空である。
仁王門の桜が一陣のつむじ風に巻き上げられて落花おびただしい花吹雪となる。
雨兆す風と落花と。これは句になるに違ないのだが、いまひとつ物足りない。とくに下五が平凡に過ぎるのである。
その答が出句のなかにあった。
雨を呼ぶ落花の風となりにけり
完全に脱帽である。
案の定、主宰の特選となった。
花の屑とどめ心礎の潦
心礎は直径1メートルちょいくらいだろうか。
塔の心礎にしては小さくどんな建物のものだか不明だが相当古いものにはちがいない。その真ん中に直径40センチくらいの穴があるところに雨水がたまっている。
おりしも桜は散りどきで、その一部がたまり水に浮いている。のぞき込むと青い空が映り込んでいて、落ちたばかりと思われる花片を浮かべた水盤に別世界を作り出しているような錯覚にとらわれる。
すずめのてつぱうまたはげんげの飛鳥かな
紫雲英田のきぎす隠れの飛鳥かな
久しぶりに飛鳥散策。
いつもの公園が駐車待ちするほどの大混雑で、飛鳥の晩春もいいかと足を伸ばしたのである。
まずは飛鳥寺の桜吹雪に打たれ、万葉文化館周辺を散策。
田の半分くらいはレンゲが咲き乱れ、もしくは雀の鉄砲が風に靡いている。
甲高いというか、やや低めだったか野太い雉子の雄の一声に振り向くと、すっぽり隠れるくらいに高く伸びた紫雲英田にちらちら動くものがおる。雀隠れと言うよりは雉子隠れと言ってもよさそうだ。
見渡しても田に出ている村人は一人もなく、飛鳥の田が動き出すのはまだしばらく先と見ゆる。その間は雉子君も安心して逍遥を愉しむことができるというわけだ。