完熟

大寒の堆肥起こして穢れなく

いかにも柔らかそうだ。

スコップを入れればさくっ、ふわっと持ち上がりそうである。
トラックの荷台に十分発酵した堆肥がうずたかく積んである。この間まで花をいっぱいつけていたバラがみな短く剪定されて、今日は寒肥を施す作業に入ったようだ。
堆肥だから発酵させるために牛糞やら鶏糞なども投入したはずだが、その面影は微塵もない。完熟堆肥なのである。
今までゆっくり寝かされていた堆肥に手をさし込めばまだ温みも残っていようし、これだけ見事な寒肥を施されれればバラも気持ちいいに違いない。

食物連鎖

遠眼鏡のぞいてあれは大鷹と
墳丘の間に落つるや鷹の急

今日はオオタカを二度発見。

一度目は生駒へ向けて着陸態勢に入った旅客機を見ていたとき。丘陵から丘陵へおおきく輪を描きながら渉りゆく姿を見つけた。これは一度双眼鏡を外したらもう視野には戻らないくらい遠くに消えた。
二度目は古墳公園の上空を渉猟しているようで、ゆったりとした輪を描く動きだったのが、突然落下しはじめて古墳の林の奥に消えた。あっという間の出来事で、ドバトかヒヨドリでも犠牲になったのかもしれない。
正月に初めて鷹を見つけたので、その後上空や高い樹の上などに注意していたが、やはり林の多い丘陵地帯をテリトリーとする大鷹がいるようだ。ほかにもハイタカのすばやい飛翔も目撃しているので、いつもの散歩コースは食物連鎖の完結を実現出来るすばらしい自然環境と言えそうである。

模様

三輪山へ麦の芽縦や横の列

三輪山のふもとに広がる麦畑。

かつて桜井市を中心として一大麦の産地であったあたりも、ごく狭い範囲に限られてきているようである。
三輪素麺の原料だって外からきたものに頼らざるをえない状況であるし、かつて麦粉で作られた餅がおりおりに食べられた風習もすっかり廃れた。この麦生産と同様に風前の灯火となったのが綿花栽培で、大和高田市でほそぼそと往時を偲ぶ活動が始められ、何とか大和綿花を残そうという動きもある。
月に一度の榛原の句会に向かうたび、三輪山の季節の移ろいを楽しんでいるが、麦秋のころの眺めにおおいに郷愁をさそわれる。先日通りかかったら、半年間ただの土色しか見せていなかった畑に麦がしっかりと芽吹いているのを見つけた。まだ出揃ったばかりで麦踏みにはいくらか間がありそうだが、それだけに芽の並びもはっきりとしていて、南北に並ぶ畑、東西に並ぶ畑が入り交じりになって美しい幾何学模様をなしている。
来月通りかかったらどれほど成長しているか。観察が楽しみとなってきた。

逆噴射

風おさへ水おさへつけ鴨降りぬ

蹼は前へ進めるだけではなく、方向やスピードの制御をもコントロールするようである。

翔つときは水面を蹼で何度も蹴りながら助走スピードを稼ぎ、着水の時は蹼で水面を抑えるように着水する。
翔つときにくらべて着水の滑走路は案外コンパクトである。
それは離陸の主役はキックであり、十分に加速するには時間がかかるからである。対して着陸は、そのスピードを殺すのは逆噴射するように広げる翼なのである。もう十分にスピードが落ちたとなって、両足を踏ん張って水面にブレークをかけて着水するのである。

実は、鴨の着水にはこういう句がある。

太き尻ざぶんと鴨の降りにけり 阿波野青畝

このような句があると、後進は実にやりにくい。

中腰で

屈みゐて画帳句帖よ寒牡丹
苞ひとつひしめきあうて寒牡丹

霜除け、風除けの藁の傘を被っている。

苞のなかをのぞくと、この寒空をものともせずに大きな花を咲かせている。なかには、何輪も開いていてひしめき合うように競っているのもあってなかなか豪華である。
吟行子は句帖片手に腰をかがめて熱心に見入っているが、なかなか着想を得ないらしい。牡丹園では三脚禁止のところも多いので、中腰のままレンズを構えるのも大変そうである。

冬銀河

寒星の赤き大地に昇りけり

恩師がスペインの地に眠られた。

スペインの大地を愛し、スペインの乾いた空気を愛した。
やすらかにお休みください。
合掌。

チェーンの用意は

スタンドの店員あふぐ雪催

明日未明から明後日にかけて雪かもという。

今日の夕、外へ出てみたが雪が降りそうな気温からはほど遠く、むしろ温かいくらい。
これで本当に雪が降るのだろうか。
今年はまだ一度も雪を見てないので、雪よ来い来いと待ちわびているのだが、それも非雪国の脳天気ゆえのことである。
実際に、積もるほど降ればたちまち交通が乱れ、車に頼る日常もおおきく影響を受けかねないのだ。

雪が積もればチェーンや冬タイヤの販売、交換で大忙しのガソリンスタンドだけに、関係者にとっては大いに気になるところ。明日は掲句のようなシーンが見られるだろうか。