スペースにかぎりが

株分けて育て上手の室の花

何かと気に入った花があれば株分けしてひとに贈りたくなる癖がある。

君子蘭がその代表で、もういくつ鉢を増やしたことだろう。
当地にきてからは進呈するひともいないので控えているが、落ちた梅や飛んできた楓などの種が芽吹けば小さなポットに移植してみたり。
あと20年くらいは元気に長生きできると分かっておれば、盆栽仕立てにでもという気になるのであるが、せっかく芽吹いたもの命をつぶすこともためらわれて。
同じ種類のものばかりふえて、いたずらに部屋のスペースをせばめているだけなのだが。

人間失格

家事の間縫ひ自分の畑を冬耕す

野良着というのではなく、普段着である。

小さな畑に鍬をふるっている。
一家が食べるだけほどの小さな畑である。
いかにも家事の合間を縫ってちょっとした畑仕事をこなしているという風情である。
そのシルエットをしばらく見るともなく眺めたいたら、ふとこんな句が浮かんできた。
もちろん、雨の今日ではなく数日前の光景だ。
人間らしく生きるためには、どんな小さな畑も、つねに耕しておかねばならない。
カルチャーとはcultivateからきている。culturedというのは心が練れたひと、教養あるひとのこと。
義父は書をやるひとだったが、仏間に「耕心田」と自書の大きな額をかかげていたのを思い出す。
人間だけが「耕す」ことを知っているのだ。
耕しを忘れたら人間失格であろう。

生きるものたち

けふ遇ひしものを日記に春を待つ

三月の気温だそうである。

ちょっと歩くだけで軽く汗ばんでくる。
風もほとんどなく、急に春がやってきたようなうれしいプレゼントである。
今日出会ったのは、エナガ、メジロ、シジュウカラ、ヒガラ、笹子、ベニマシコ、青バト、コゲラ、マガモ、コガモ、オカヨシガモ、オオバン、カルガモ、ヒヨドリとカラス数多、地域猫の黒と鯖トラミックスの二匹。
他にも声は聞こえるけれど名が不明の鳥もいくつか。
生きとし生けるものの声を聴き、姿を眺める。無心になれる時間である。

時宜ということ

標張つて名の札打つて寒肥す

ロープで仕切られた区画が一面白い。

近づいてみると、どうやら肥料が蒔かれたらしい。
広い敷地に幾何学模様の畝が作られているのはチューリップ花壇である。
見ると、公園のあちこちに養生中の区画があり、おそらくどれも花壇のようである。
どうもわが家では、今年こそとは思いながら、結局寒さにかまけて寒肥の時期を逸することが多い。何本とないわけだから庭木くらいはちゃんと時宜を得たご飯をやらなきゃね。

重宝するもの

荒唇に寒九の水の適ひけり

末期の水ではない。

5日が寒の入りだから、昨日が寒九に当たるはずである。これからが寒さの本番である。
乾燥性ゆえちょっと外にいただけで唇が荒れてきて、昨日はひび割れのように、とうとう口を開けるのさえぴりぴりと痛む。今は薬用リップクリームというのがコンビニでも売られており、乾燥防止や荒れにもずいぶん重宝する。昨夜塗っておいたら今朝は大丈夫のようである。と言って、油断したらたちまち荒れてしまうので用心、用心。

発見

枯草の踏まれ野鳥の観望所

探鳥のシーズン。

入門には最適の季節とあって、日本野鳥の会が特別な探鳥会を各地で催している。
イベントの様子をしばし見せてもらったが、ベテランが案内するので全くの素人でも思いもよらない鳥を観察することができる。同じように見える鴨でも、実はいろいろな種類が混じっていて、その違いを楽しめることも発見できた。
幸いにして、よく散歩に出かける古墳公園は鳥たちの楽園。冬の間まだまだ楽しむことができそうだ。

北陸の雪

まなかひの葛城ひさに冬晴るる

今年一番の冷え込み。

庭のものが凍る寒さ。鉢の土が上から2センチくらいは凍ったろうか。
ここのところ、葛城は毎日雲に包まれていたが、今朝は久しぶりに姿を見せてくれた。
山はすっぽりと雪をかぶって、今年はこのまましばらく姿を変えないことだろう。
明日三波目の寒波がくるという。最低気温の記録も更新されるに違いない。
北陸は大変なようである。電車に閉じこめられるわけではなく、暖房の部屋で過ごせるのだから誰に文句もつけるわけじゃないが。