オリオン冴ゆ

生駒嶺を越えて凍雲尾を引ける
凍雲の昏き底よりJAL機かな

抜けるような空。

耳が切れそうな空気である。
飛行機雲が縮れて薄く広がり、その先に冴え冴えとした昼寒月が中天にかかっている。
生駒から黒い雲が伸びたかと思えば、伊賀の方へ流れてゆく。東山中を通れば雪を降らせるようかである。
いっぽうの葛城と言えば、相変わらず雲の流れが乱れて里に雪時雨をもたらせている模様。
今日は鳥もひっこみがち?
コゲラ、アオジ、エナガ、四十雀、ツグミ、白ハラ、ベニマシコ、水鳥いろいろ、おなじみヒヨドリ、カラス。

夜は夜で、オリオン、昴が頭上にキレキレである。久しぶりに冬の夜空を見た。

説得力

顎マスクせし内科医のタバコ臭

問診を受けていて、息に煙草の匂ひがしてくる。

外来禁煙を謳っている医者である。
まさに医者の不養生であろう。
酒と煙草は慎むようにと言われても、説得力がない。
心筋梗塞を未然に発見してくれた恩有る医者だから、まあ大目に見ておこう。

生駒夕照

テレビ塔七基の日脚伸びしかな

どちらが言うともなく窓の外を見る。

午後5時となってもまだまだ明るい。
5時半を過ぎてようやく暮れなずんできた。
生駒山に夕日がさして、何基かあるテレビアンテナが輝いた。
外から戻ってくるとき南側から仰ぎ見るのが楽しみだが、なかんづくこの時期の景色が大好きである。

地味がいい

登坂路に息整へて冬椿

詫助なんだろうか。

足下ばかりに気がいって今まで気づかなかったが、いきなり眼前におびただしく椿が落ちている。潔いくらいの白である。花片は小さく、あまり開かない。そのかわりに、全体の大きさのわりに蘂がやたら大きい。
あまり人が通らないらしく、踏まれずに、汚れずにいるのがいくつもある。
見上げると、木の高さは3メートルくらい。大きな木に囲まれているので、せいいっぱい背伸びをしたのだろう。
人の踏む道にかぶさるように枝が伸びていて、ちょうどトンネルのようである。
しばらく行くと、また同じような椿に出会った。
地味な椿って意外にいいものだなと思い直した。

巨木の陰

寒林の疎林なれどもみな大樹

上へ上へ競ったのであろう。

どれもみな背が高い。高いものどうしが生き残って見上げるような森を形成した。
背の高いものが生き残れば陰になる幼木は育たない。こうして疎林となったのであろう。
高い木に止まるのは、鳩、カラスくらいである。小鳥は集まらないのでつまらない。
今日目撃したのは、ツグミ、ヤマガラ、メジロ、コゲラ、四十雀、ベニマシコ、ジョウビタキ、シロハラ、水鳥各種など。

徘徊

千尺の糸に和凧の機嫌よし

さえぎるものは何もない。

墳丘の天辺からは盆地を囲む山が一望できる。それだけ広い丘である。
その丘から凧をあげているひとがやっぱり今日もいた。
先日も見かけた自製凧のベテランである。
先日は無風に近かったので洋凧だったが、今日は軽く風があるので、和凧のようだ。それも西風にのって300メートルほど糸がでている。遠目にも尻尾が異常に長い。その効果かどうか凧は非常に安定している。糸を出せば出すほどするすると昇ってゆく。
そのまま凧名人としばし歓談。
そのうち急に風が冷たくなったなとたしかめたら、風が逆の東風に変わったようだ。時間もそろそろ夕方にかかる頃、頃合いとみて名人は凧の糸を巻き始めた。
おろした凧を見せてもらったら、シンプルながら実に考えられている。部材のどれもが徹底的に軽量化を図っているのが一点。たとえば竹材も徹底的にうすく削られているし、部品点数も極小である。まず外枠というものがないのに注目。
糸と凧本体を結ぶ糸は二点支持。普通なら三本である。これも凧の挙動を少なくする仕組み、というか気ままな風を軽く左右にいなす機能もあるようである。
いろいろお話を聞いているうちに、同世代とおぼしきひともやってきて、ひとしきり昔の遊びの話に花が咲く。
こんな自然いっぱいの公園に、スマホ片手に徘徊している若い人の多いこと。昔人間には異様としかいいようのない光景であった。

双葉より芳し

梅の芽のゆるむ兆しのかほりかな
晴るる日のくる日来る日の梅探る

散歩に出れば必ず梅園に立ち寄る。

蕾はまだ固そうだが、気のせいか香り立ってきているように感じて思わず振り返った。
冬と言うにはずいぶんあたたかくて、風もなかったので、かすかな匂ひが吹き消されずにあたりに漂っているのかもしれない。
「栴檀は双葉より芳し」とはいうが、梅というのも蕾というよりも、芽のうちから匂い立つということを今さらながら知ることができて新鮮な驚きである。