雪近し

大綿に先を譲れる野道かな

もうそんな季節なんだと思う。

数日前の小春日に公園で発見したが、これが飛べば雪が近いとか。
まさに今日など冷たい風があって、屋外にじっとしていると膚寒を越えているようだった。今年の冬はいつもより早く訪れるような予感さえする日だ。
綿虫というのは、焦点がすぐに合わない老眼にも、あのゆっくりとした綿虫の動きにはついていける。分かるがゆえに、道で出会ったりすればあの優雅な飛翔をしばらく楽しむことが可能だ。
ただ、綿虫は人肌の熱でさえ死んでしまうと言われるほど繊細な生き物らしく、手で捕らえようとしてはいけないそうである。だから、さまようさまをただ目で追うことだけで満足しなければならない。

纒向散策

樫の実のみどりのぞかす垣根かな

ふだんは乗降客も少ない巻向駅に、車両から人がどっと吐き出された。

纒向遺跡第193回調査現地説明会が目当てだ。
卑弥呼の祭祀跡かもという巨大建物が発見された場所から百メートル足らずの場所に、3世紀ころと思われる墳墓多数が発掘されたのだ。
纒向遺跡が国の史跡に指定され、元纒向小学校跡地にガイダンス施設を建設するにあたっての発掘だということだった。周りにはまだ何もない場所にすでに公衆トイレは完成していて、さっそくお世話にもなった。

帰途立ち寄った店の駐車場には、青々とした団栗をつけた生け垣があった。
アラカシなのかシラカシなのか。
今では珍しい樫の生垣だった。
北風が冷たかったが、蜜柑がたわわに実った畑があったり、秋の気配もまだまだ残している。

散歩日和

甘いもの口が欲する小春かな
意識して歩幅広げる小春かな
ころころと笑ひころげる小春かな

散歩とおぼしき婦人たち。

すれ違いざま聞こえたのが、「甘いもんでもたべてこか?」。
たちまち衆議一決したようである。
後ろ姿は心なしかピッチがあがったような気がした。

恵みに感謝

木守柿つひのひとつになれりけり

渋柿なのかどうか、木いっぱいの柿を生らせたまま放置されているところを多く見る。

いっぽうで、立派に手入れされた柿の木のてっぺんに一個だけ残されているのを見ると、もうこれは木守柿に違いないと思う。
柿の広場となった県立公園の一画では、大きな木がならんでいるが、三本に付き一個の割合でしか残されていなかった。
公園にはいろんな鳥が居てはやばやと失敬したためなのか、それともほとんどが福祉施設などに配給されたのか、真偽はさだかではない。

藪の忍者

呼び止めてやがて追ひ越す笹子かな

笹鳴きがするので思わず振り向いた。

通り過ぎたばかりの小籔にいるらしい。かすかに葉が揺れて、その部分が次々と移っている。谷渡りよろしく例によって移動中のようだ。
やがて笹鳴きも途絶えたので歩き始めたら、今度はずっと前方から笹鳴きが聞こえてくる。
ちょっとしたすきの油断をついて先回りされたようだ。
藪の達人、忍者のようだ。

落葉踏む

朴落葉うちかさなりて風もなし
鞄には収まりかねて朴落葉

長さが30センチもあろうか。

朴の葉の広いこと。
少々の風くらいでは飛ぶこともないのだろうか、白灰がかった茶褐色の裏を見せて巻くように重なっている。
試しに拾い上げてみたら、ショルダーのバッグより大きかった。

主役交代時期

ノルディックウオークの杖に秋惜しむ

明日の立冬の前に、今日はまるで小春日。

風もないし、少し歩けば汗ばむほどの陽気。
鵙の猛り、朴落葉、木守柿があるかと思えば、はやくも笹鳴きも聞かれ、秋と冬の主役交替時期でもあった。
こちらは、句帖片手に句材を探して右へ左へ視線を漂わせ、歩幅も小さくスピードも上がらない横をさっさと追い越してゆく人たち。
いま流行りのノルディックウオーキングというやつだ。
杖が使える場所も限られて、まだ完全に市民權を得たとは言えないはずだが、街中にもどんどん浸食しているようだ。
公園にはお年寄りや小さな子供、赤ちゃん連れのママもいるので、事故がないよう安全に願いたいところである。