赤だしと鯖煮のバレンタインの日
老の身二人の暮らしには縁のない日かも。
赤味噌には旨味を引き出す成分が多いということを最近聞いて、久しぶりの赤だしのお椀である。鯖の味噌煮も色濃くて、チョコレート色に似ていなくもないが、メニューはこの日を意識したわけではなさそうだ。
隠し味にもいいということで、酒粕もよく使っているようだ。
何でもかんでも入れればいいと言うので、パンを焼くのにも酒粕を入れているようだが、普通より膨らむようでそのマジックには驚かされる。
発酵食品バンザイである。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
赤だしと鯖煮のバレンタインの日
老の身二人の暮らしには縁のない日かも。
赤味噌には旨味を引き出す成分が多いということを最近聞いて、久しぶりの赤だしのお椀である。鯖の味噌煮も色濃くて、チョコレート色に似ていなくもないが、メニューはこの日を意識したわけではなさそうだ。
隠し味にもいいということで、酒粕もよく使っているようだ。
何でもかんでも入れればいいと言うので、パンを焼くのにも酒粕を入れているようだが、普通より膨らむようでそのマジックには驚かされる。
発酵食品バンザイである。
菜の花を供へ作家の忌日かな
命日に供ふ菜の花盗られけり
春は黄色から始まる。
その代表が菜の花だろう。
関東では房総の花畑が話題になってる頃だ。
昨日12日は、生前菜の花を愛したことで知られる司馬遼太郎の命日で、「菜の花忌」とも呼ばれる。
先月末、この命日に供えて最寄り駅から記念館までの道路沿いに並べられた菜の花の鉢が、何ものかによって切り取られるという暗然とするニュースが届いた。
三千本のうち八百本が切り取られたそうで、悪戯にしては度が過ぎており、偏執的な気味悪ささえ感じてしまう。
花は切られず、蕾だけが狙われたということだから、もしかしたら売り飛ばすための一種の畑泥棒なのかもしれない。なんとも罰当たりなことだ。
収穫したばかりの米が盗まれたり、畑からメロンがごっそり盗まれたとか、世も末というか、国が衰退してゆくとは、この類いのことが日常化、常態化してしまうということだろうか。
産院にタクシー着いて春の雪
最近越してきた若い夫婦に赤ん坊が誕生したらしい。
数日前に家の前にタクシーが來ていたとき、産院へ出かけるのであろうと思ったのは、自治会に入会されたときに、産み月が近いと聞いていたからだ。
一週間ほどしたら、二階ベランダには干し物がいっぱいある。無事にお産もすんでなによりだ。
縄巻いて根鉢の梅の芽ぐみけり
立派な梅の木が出荷を待つばかりに立てられている。
造園業の畑の端に、見事なまでに形を整えられた枝垂れ梅たちの、たくましいほど大きい根鉢が縄にしっかりと巻かれ、コンパクトに伸びている枝はそれぞれ芽を膨らませ、一部は咲き始めているものもあるようだ。
土から掘りあげて根鉢が十分育つまで一年はたっぷりとかけたのであろう。
このまま植えられれば、客先の庭には一度に梅の春がやってくるにちがいない。
弔ひのけぶり真白し冴返る
盆地の底冷えのする日は風がない。
盆地の周囲を見渡すと白い煙が幾筋もこもるように昇っている。
昭和の時代、自治体の合併が進まなかった当県では、当然のごとく美化工場、火葬場の統廃合も進んでないからであろう。
昨日一日だけは気温も上がって喜んだが、たった一日で冬が戻ったように寒い。
寒いうえに雨ではよけい寒さがこたえる。
下萌や頁つきたる鳥日誌
後円まだ前方墳の下萌ゆる
今日は久しぶりに気温10度を超えた。
そのせいだろうか、ここんところ渋っていたいろんな鳥さんたちの姿をじっくり観察できた。
とくにルリビタキ(♀)は今冬初めてで、一回しか見てなかったトラツグミを四カ所で目撃するなど収穫は大。
句帖の端っこに今日の鳥をメモするのだが、今日は二桁はいけて、久しぶりの鳥日和。
足許はというと、枯れきった墳丘の裾には点々と下草が芽生えてきたといおうか、今まで寒さで葉が地面に這うように低く臥していたのが、むっくり顔を起こし始めたような気がする。
正倉院右二月堂凍ゆるむ
東大寺裏はまだ人もまばら。
岐れ道にかかると、二月堂あるいは正倉院への道しるべが控えめに、しかし明瞭に示されていて、ここへ来るたびに今日はどっちにしようかと迷うところでもある。
あたりを見回してみると、芝地が広がっていて、例によって鹿の糞がまばらに散っているのだが、ここのところの寒波で半ば凍っていたと思えるところが緩び始めているようだ。
ゆかるみを踏まないように芝地を歩いてみたが、舗装路ではない独特の感触が足裏にこころよい。
その余勢をかって二月堂の坂を進むことにした。