ビオトープに春の水音もどりけり
涸れていたビオトープに水が戻ってきた。
川にあふれるほど水量も豊かで、その勢いあまる水音が心地いい。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
ビオトープに春の水音もどりけり
涸れていたビオトープに水が戻ってきた。
川にあふれるほど水量も豊かで、その勢いあまる水音が心地いい。
春めくや腰には脱ぎしもの巻いて
春めくや携行ボトル手に持ちて
もう本格的な春である。
考えてみれば、もう二月も終わり。当たり前の話だが、この冬の寒さがあまりに長く続いたので、気持ちには急に春めいてきたのについていけない感覚をともなっている。
今日は、冬のかっこうで出てきたものの、歩いているうちに汗ばんできたのだろう、上着一枚腰に巻いて歩く人が見られた。
真冬にくらべたら確実に上着二枚は必要でなくなって、身も心も軽い。水分もペットボトル小瓶でよかったのが、今日などは600mlサイズでも足らないくらいだ。
内奥の空たかだかと初燕
久しぶりに大和川沿いを歩いた。
やはり歩くとはいいもので、さっそく棒に当たって、今年の初燕が空高々と円を描きながら飛んでいるのを見ることができた。河内から大和川沿いに遡上してきたのであろう。我が町はその玄関口である。ここから支流にわかれてそれぞれの故郷へ向かうのかもしれない。
大和川は古代から大陸文化到来ルートである。渡り鳥たちにとってもそのルートの一つになっているに違いない。
先週の万作、そして初雲雀に続いての吉報である。
あんなに寒かった冬なのに、この数日はまるで遅れていた分を取り戻すかのように、一気に春の気配につつまれてきたのが嬉しい。
殻割って木の実身を剥ぐ雨水かな
団栗の殻が破れてきた。
殻を割って青々した身がむきだしになってきたのが目立つようになってきた。自ら殻を割るくらいだから、鹿苑に持っていきたいほどおびただしい転がっていたのが、いっせいに活動し始め、いよいよ動き出そうということか。
今日のような柔らかい春の雨にもうながされ、やがて芽、根を出して自分の場所を確保する戦いが始まるのだ。来月末頃には双葉が出揃っているかもしれない。とくに、公園の樹木でも椎の木の実に分がありそうだ。というのは、椎の木の根元は落葉が積もっていることが多く、木の実の発芽、成長には適しているからだ。
枝の鳥を探しながら歩くのももちろん悪くないが、これからは足許にも注意しながら行くとしよう。
凍解や筒井のポンプの鉄錆を吐き
水栓が凍らなくなった。
氷室社のポンプにも水が戻ってきたが、しばらく使ってないせいか幾分錆が混じっているようである。
春北風や隊士見送る医療ヘリ
春塵をまいてドクターヘリ発てり
取り巻いた人たちにも、ものものしい雰囲気が漂っている。
何かと近づけば、初めて見るドクターヘリだ。
運動施設のフィールドに駐機していて、今しも救急患者を載せるところだった。
もしかすれば運動中に人事不省に陥り、医療救急車では対処しきれなくなったのだろうか。
県内の広い領域が山間地帯で、ドクターヘリによる救急救命体制の確立が急がれており、最近ようやく自前のヘリを稼働させたばかりだ。比較的恵まれた盆地中央でも、搬送をヘリに託すというのはよほど重篤な患者なのかもしれない。
このような緊急を要する重篤患者の救急医療の核となるのは、北、中、南に三つある地域医療センターのほか、県立医大など。
救急ヘリというのは、ヘリとそれに乗る医療スタッフのイメージが強いが、見ているとどうやらそれは大きな間違いで、現場においてもヘリをサポートする人間が必要なのだ。たとえば、風向きを教える吹き流しを掲げたり、離着陸の際の警備とか、周囲を見渡して全体の指示を出す人とか。
そして、いよいよ離陸となってエンジン音が高まるとともに、機体がふわりと浮く。すると、その瞬間、野次馬として遠巻きにしていた人々にも一斉に落葉や土埃が降りかかってくる。向かった方向からすると橿原の県立医大へと進路をとっているのかもしれない。そこでもまた、関係者が体制を敷いて待ち受けているに違いない。
緊迫した救急医療現場の一場面に遭遇し、命一つをつなぎ止めるための多くの貢献を思わずにはいられない。
道中の一人に見えて初雲雀
空耳と疑ぐるほどの初雲雀
歩くたびに発見がある。
先日粒が開き始めた万作を見たが、これがすっかり開いてちりぢりの糸にほどけている。
また、珍しく日の暈がかかったお日様を眺めていたら、どこかで雲雀が鳴いている。もちろん今年初めての雲雀だ。
眼球の焦点合わせが鈍い僕には発見できなかったが、立ち話の相手がしっかり捕捉したようだ。
ただ、鳴いた時間はほんのわずかですぐに聞こえなかった。
最初の一声をせっかく聞きつけたのに残念なことである。