こくまろ

梅雨入るや温め直すポークカレー

西から関東まで一気に梅雨入りしたらしい。

朝に霧雨模様だったのが、やがて本降りになり結局やむことはなかった。
湿度も高く、いよいよ過ごしにくい季節となった。
カレーを昨日のEテレで教わった方法で作ってみた。今夜は温め直したカレーを食うとしよう。
おっと最後に茄子を入れるのを忘れないようにしなきゃ。

やっぱり長谷寺

玉のまま錆びて芍薬崩れざる
万緑の見渡すかぎり寺領とや

久しぶりに長谷寺吟行。

牡丹の時期の喧噪からは様変わりの静けさに包まれて、ゆっくり境内を散策することができた。
勿論、「花の御寺」といわれる長谷寺のこと、花の端境期とはいえ句材はいくらでもある。
芍薬も時季外れだが、名残の風情はそれはそれでまた詠み応えがあるというもの。
咲ききって、大きな種を見せるものが多いなか、開くことなく蕾のまま枯れてゆく姿、ある意味、冬薔薇に似通うような趣に心引かれてしばらく佇んでみて得たのが掲句である。

あの大舞台にたって「万緑」に挑戦するのも今日の目標で、いくつか詠んでみたもののひとつが寺領の句。
今日はいくつも詠むことができ、どれを投句するかと悩むほど、贅沢な一日であった。長谷寺、さまさまである。

絹の道は今

葭切や支流いくすじ河合町

大和川の大阪部分は知らないが、盆地内では本流には葭切の姿はあまり見ない。

どちらかというと、富雄川、秋篠川、佐保川、飛鳥川、曽我川、葛城川といった支流にはよく見られる。
さらに、平城宮跡、藤原宮跡といった凡そ川というイメージから離れた場所にも多い。
大利根にしろ、淀川にしろ、大河のイメージがつきまとうが、意外なところ、もっと身近な所に多いのである。

もうひとつ、これら盆地内支流はかつて舟運で栄え、初瀬川、佐保川などはシルクロード終の路でもあるのだ。土砂が堆積して今ではとても想像できないが、西域から運ばれたさまざまな文物がこれら支流を遡って運ばれていったのである。

緑の宝石

万緑やフォッサマグナの途方なく

糸魚川や信州アルプス方面などを旅行して、今立っているのはフォッサマグナ(大きな溝の意)の上だと聞いてもぴんとこない。

とてつもない規模の溝が本州の中央を横切っているのだというが、溝らしきものは全く見られないからだ。
というのも、溝の上を埋め尽くして余りある、北から、新潟焼山、妙高山、黒姫山、飯綱山、八ヶ岳、富士山、箱根、天城山という高い火山が列をなしているからである。それらは大きな溝が落ちこんだあとにマグマが上昇してできたものだという。
九州中部から四国の背骨を貫き、紀ノ川から吉野、伊勢、そして静岡に至る中央構造線が、3D地図などでもくっきり溝模様が分かるのとは対照的である。

フォッサマグナの北の端に縄文の時代から翡翠が採れ、加工技術も発達して各地に流通したことはよく知られている。そのことも現地のフォッサマグナミュージアムに行けば詳しく知ることができるが、継体天皇が立って以降どうやら翡翠の需要は急激に衰退したようである。大陸や半島から最新の文物や人・技術、なかでも金属加工技術が流れ込んだのが理由だとされ、金の冠、腕輪などが権力の象徴となるいっぽうで、それまでのシャーマニズムの象徴でもある勾玉の魔力が失せたと云うことかもしれない。

人は避けて通る

公園の目抜き通りのえごの花
えごの花邪険にくぐる男かな
えごの花触れては傘の通り行く
象舎立つアジアゾーンのえごの花
引き寄せて妻の鼻先えごの花

枝ぶりがよく、四方によく広がる。

アカシアのように高く咲くのではなく、低く垂れるようにぶらさがるので下手すれば顔の部分に来ることが多い。だから、通りといっても、比較的広いスペースを要するところがある。木の下は歩けないからだ。
この木をシンボルツリーにしている公園は、その一画をえごの木通りと呼んでいる。
秋になり実がなると鳥がせっせとすみかまで運ぶ姿は愛らしい。

血を吐くような

臥せてゐて昼夜逆転ほととぎす

油断して風邪を引きました。

昼間はウグイス、夜中はホトトギスがよく鳴いてます。
ときどき狂ったように鳴きますので、血を吐くというのはまんざら誇張ではないような気がします。

ひさしぶりにベッドから投稿しました。

ごっつんこ

蟻の道たどり叢茂にまかれけり

またぞろ引っ越しかもしれない。

玄関を横切って蟻が列をなしている。
毎年この時期になると、玄関アプローチを挟んで蟻がいそがしく往来するのが恒例となったようだ。何しろ「ありさんごっつんこ」というくらいだから、両方にせわしく往き来するので、どちらが起点なのか目標点なのかは判然としない。
辿ろうとしてもいっぽうは草むらのなかに行方をくらまして、そこから先は追えないのだった。
家の下に潜り込んで悪さをしそうではないのでそっとしておくことにした。