主なしとて

立ち退きは残り一軒黄水仙

住宅街の一画に日本料理店があった。

通るたびに、こんなところで商売になるのだろうかと不思議に思っていたが、いきなり取り壊し工事が始まって、あれよあれよいう間に更地になってしまった。
県道とはいっても大型が通行禁止になるくらい道幅が狭く、ここは拡幅工事が予定されているところ。
すでにかなりの家が立ち退いているようで、いずれ店じまいが余儀なくされていたのだろう。

なにもかもなくなった更地だが、玄関脇の植え込みが僅かに形をとどめていて、そこには黄水仙が肩を並べるように咲いていた。

都心から30分の秘境

杉を植う百年のちの児孫へと

葛城山の裏(奈良から見ればだが)は大阪とは思えない自然がよく残されていることをテレビで知った。

900メートル級の山々は急峻な渓谷をうがち、いたるところに滝が見られることから、都会に近い秘境とも言える。関東で言えば、新宿の高層ビルなどが望める高尾山みたいなものであろうか。
頂上が一面芒原である岩湧山は、ヘリからのテレビ中継でよく紹介されるところで、風に揺れる芒野は秋が深まったことをあらためては感じる映像である。
さらにまたここが、屋根材の茅の特産地で、材質が良質であることから全国からの注文が多いということも初めて知った。今でも機械に頼らず手刈りであることが品質のカギだということだが、アクセスの悪い山頂であることときつい傾斜によって機械化が阻まれた副産物と言えるかもしれない。

このほかにも、自生の黒文字に注目して楊枝の産地となったり、百年かけて目の詰まった杉をじっくり育てる林業など、地域の特性を活かした営みが、大阪から電車でわずか30分のところに今も受け継がれているのは驚きでもある。

鳥たちの銀座通り

をりふしに仰ぐ峰々鳥雲に

ここのところ、朝のうちはシルエットがクリアである。

高見山から西に振って二上山に達する山々である。
ところが、気温も上がってくると、さすが奥の八経ヶ岳あたりが霞んで隠れてしまうこともある。
奈良気象台では毎日「視程」を目視で観測しているが、かく言う小生も毎日のように「視程」を観測しておるようなものである。

北へ帰る鳥たちはあの峰々を越えていくのだろうが、同じように南からやって来た鳥たちの通過する山々である。おそらくは中央構造線沿いに行き来するのが最も最短で、かつ安全なのではなかろうかと推測できるがどうだろうか。

また渡っておいで

鴨引きしことを時候の便りかな

いつもの年に比べて早いかもしれない。

もともと飛来した鴨が少なかったのだが、それがまた去ってみるとさらに寂しいものがある。
遠く橋の上から見ていて、姿がよく見えなくても独特な笛が聞こえたりして、寒い時期の戦友のような親しみさえ感じていたのだから。
ここからシベリアへ向かうというのだから、途中の危険も考えれば命がけの旅であるのは間違いない。滞在中に伴侶となった道連れ、家族は頼もしい仲間だろう。無事帰還を祈る。

柳腰

バリアフリースロープ挟み雪柳

どういうわけか、庭の雪柳が花をつけたまま年を越した。

春になっても花が枯れるどころか、一段と花の数を増してきて、芽吹きの緑も生き生きとしてきた。
雪柳にとっては、さぞけじめのない冬だったのだろうが、さても姿形に似ず逞しいことだ。
柳ならぬ雪柳の柳腰を思う。

冬物しまう?

げんげ田に犬や幼なの声まろぶ

春耕にはまだ早い大和盆地である。

雑草も目立ってきたが、一部は紫雲英田として散歩の人も歩みをとめて眺めている。
リードを解かれた犬は嬉々として田に遊び、幼子も紫雲英に足を取られながらも走り回ってる。

明日の朝は冷え込んで遅霜注意報が出ているが、そのあとは暖かい日が続くそうだ。
もう冬物はクリーニングに出してもいいかもしれない。

春を加速化

春水の雨打つたびに震へけり

終日の雨。

あらたにできた水溜まりはもう春の水と言っていい。
その水溜まりが雨粒が落ちるたびにぷるんと震える。
その水が土にしみこんで木々の芽ぐみをさらに促し、春を加速させる。
雨の一滴に始まる春水が春を一層濃くするのである。