雲の動くとき

凍雲の底を切り裂く日矢太き

厚い雲が割れて日がさした。

まるで雲の底が抜けたみたいに、そこからいく筋かの日差しがこぼれる。日矢だ。やがて底の縁が金色に輝きだすと、耳成の辺り、大和の盆地の一角がいっぺんに明るくなった。
そのうちみるみる厚い雲が動き出して、どの雲にも夕日があたり夕焼け模様を描き出した。

宇陀の榛原からの帰りの光景だ。

海岸の花

ポスターのままの水仙眼の当たり
段丘を背に水仙の港かな
段丘を背に水仙の風除ける

水仙の名所というのは決まって海浜である。

よく知られるところでは、越前、爪木崎、潮岬など。どこも水仙以外には目を遮るものがなく、水仙の原がそのまま海へなだれ込みそうな勢いである。
綺麗なものを見て、美味いものを食えば旅の思い出は深いものになる。

生きとし生けるもの

穴施行所帯持ったと風に聞き
十分に行き渡るべく寒施行
ボスばかり独り占めして寒施行
寒施行主の正体見届けり

寒施行である。

寒に入って狐や狸など小動物たちの餌が乏しくなった時分、巣穴と見立てたさきに食物を施すことをいう。
今年は所帯を持ってもしかしたら子供もいるかもしれないので、いつもよりちょっと多めに用意したのである。

布団干す気になれない

晴るる日の一ト日続かぬ四温かな

ここ数日暖かい。

ただ、空がすかっと晴れた日は一日とてなく気が重くなるような天気だ。洗濯物や布団を思い切って干せない家人はこの天気を恨めしく思っている。
だから寒さが去年よりずっと続いているような気がしていたが、やっぱり1月、2月は暖冬傾向なのだそうだ。
そう言われてみれば、今年に入って最低気温が零度を大きく下回る朝はないし、今日など大寒だから連日零下3度前後の日が続いてもおかしくない時分と言うのに。

女綱

山凍てて勧請縄の翳りけり
山凍てて勧請縄の真新し
勧請の縄あらたまり寒に入る

栢森の入り口で
(かやのもり)集落の女綱を見に行こうと思った。

栢森の女綱

というのは、稲淵集落の男綱と同様一週間前に年に一度の綱掛け神事が行われたばかりだったからだ。

稲淵の男綱

この栢森というのは飛鳥から吉野へ抜ける芋峠ルートの一番奥まった集落で、飛鳥方面からの邪悪が集落に及ばないよう、飛鳥側の入り口において飛鳥川を跨ぐように女性器を象徴する勧請縄がかけられている。飛鳥の里からは一番奥まったところなので訪れる人も少ない。
高度も上げてきているうえ、山に囲まれた川は早くから陽が遮られていかにも寒々しい。

歴爺・歴婆

仏頭は飛鳥のものと鐘冴ゆる

飛鳥で大きな遺構が発見されたというニュースが15日に流れた。

舒明天皇の墓ではないかという説や、蝦夷・入鹿親子の墓だとも言われて古代史ファンにとってはまたまた大ニュースである。
かくいう私めも古代史への興味はつきることがない。というわけで、さっそく今日の現地説明会に行ってきた。まず驚いたのは人の波。今まで数回現地説明会に足を運んだことがあるが、今日くらい見学者の多い日はなかった。寒のまっただ中と言うのにである。
辛うじて駐車スペースは確保したものの、現地では行列が百メートルほどできて100人ずつくらいの入れ替え制。日曜日だから多いのかと思ったが、意外に若い人は少なく大半が爺婆である。これでは平日に開かれても同じように混雑するのではないかと思えるほどだ。

盛況は会場だけではなく向かいのコンビニ店も。なにしろ爺婆が揃いも揃って弁当やお茶を買い、最新の珈琲ベンダーマシンに手間取りながらも押すな押すなの大盛況。できて間もない飛鳥観光ルート唯一のコンビニ店は大当たりだ。関西ではまだ少ない7-11も勘所はしっかり押さえてるようだ。

見学のあとは甘樫丘へ。上へ登れば登るほど、飛鳥寺の鐘がピンとはった空気をふるわすように乾いた音が聞こえてきた。

冬の命

墳丘に伸びるともなく冬の草
冬の草伸びるともなく生いにけり

下萌かと思ったが、冬の草であった。

引き飛ばされないで地面に踏ん張っている枯れ草の間から、しっかり顔を出している。おそらくそこからさらに背を伸ばすのではなく、そのままの姿で冬を越すのであろう。
寒のど真ん中にいても、万物枯れているのではない。冬には冬の命があるのだ。