帰ったあとは

鳥引くや水面乱する魚の影

昼頃雨が止んだので馬見丘陵へ。

中心にある大池は渡り鳥がいろいろやってきて探鳥する人が絶えないが、さすがに鴨たちは旅だったようである。つい先頃までは賑やかに羽をうつ水音が聞こえ幾種類もの鳴き声も聞かれたが静かなものである。
水面を騒がせるものはと言えば、鯉などが時折はねたり、尾びれを水面からだしたまま浅瀬をのたくるくらいのものだ。そう言えば鯉の乗っ込みも間近い。

もう一つの名物

参道の草餅食むも功徳なれ

長谷寺の参道に草餅屋が並ぶ。

これを食べないとお詣りした気持ちは半分、何かしっくりこないから不思議だ。
参道に住み古りた句友宅に立ち寄れば、出てくる茶菓子は決まって草餅の焼き餅である。

長谷寺と牡丹は有名だが、長谷寺と草餅もまた切っても切れない。

桜のある景色

一夜にて景色変へてみせ桜散る

朝目覚めて対岸の丘に目をやると景色が一変していた。

前日までの桜が一度に散らされたようである。
これで、大和盆地の桜も見納め。次は吉野か、高遠か。

昔かわらぬ味

見覚えのある包装紙桜餅

包装紙をみただけで分かる。

お土産にいただいたお菓子は故郷の老舗のものだ。
この色、この香り、この味。
素朴だが、他に代えようがないものである。

大人の遊び

子ら飽きて親盛り上がる花見かな

週末は5月中旬の陽気だという。

公園の見事な桜がちょうど良い具合の日傘になっており、その下で近所の人たちが手近な花見の会を開いているようだ。大人たちが昼酒をながながと楽しんでいる一方で、ジュースやお菓子、お弁当を食べてるまではご機嫌だった子供たちはやがてやることもなく退屈そうにしている。
一緒に散歩というのはいいだろうが、花見の遊びというのは子供につきあわせるにはやはり無理なものがあるようだ

あだ花

ニュータウン輝き褪せて桜老ゆ

戦後いっせいに植えられた各地の桜が衰えを見せているという。

なかには伐採して若い木に植え替える計画もあると聞く。そのほとんどは一代限りの染井吉野だが、実際に衰えたさまを目の当たりにすると、人工的に作られたものってほんとうに弱いものだと思う。
この春、有名国立大学のある駅前の桜通りが全国的に知られる東京郊外の街にたまたま行く機会があり、しかもその日が東京の満開日というだけあって広い駅前通りのそぞろ歩きを多くの人が楽しんでいる光景を目にした。つられて車も大変な渋滞で車内からも桜をゆっくり楽しめたが、10年ほど前に見た光景とは何処か様子が違うような気がしてきた。はたと気がついたのが、木の様子である。盛りの頃には元気な枝を縦横に延ばしていたのが、今ではそのようなボリューム感がない。すっかり枝も衰えてやせ細っているようにも見える。幹がりゅうりゅうとした瘤を見せている一方で、もはやその太さに見合った枝振りではないのだ。

おなじようなシーンは、やはり田園都市線沿いの高級住宅街で10年ほど前にも見られた。
街の高齢化を象徴するように、桜通りの輝きが失われてゆく。
やはり染井吉野という桜は、人のそばでないと生きられないあだ花でもあるのだ。

大阪城公園

吾もまた異邦人らし壕桜

大阪城公園もまた外国人ばかり。

大阪城本丸内堀

お堀越しに本丸が見える場所ではほぼみんながカメラで記念撮影している。かくいう小子も家人を立たせ何枚かをスナップ。大勢の外国人観光客と同様、大阪ではわれら一行も旅行者、異邦人同様なのだった。