ストレス

お茶漬で流す夕餉の秋暑し

九月。

日差しは真夏同様。
ただ日が落ちるといくぶん楽になった。
ただ、暑さのストレスが効いているのか茶碗一杯の飯が進まない。そこで冷たい茶をぶっかけて流し込むしかないのである。

気が抜けない

念強く猛き八月やりにけり

暑い暑いと嘆いた八月も今日で終わる。

通常なら九月の声を聞けばもうすっかり秋だなあと思ったのは、もう十年以上も前の話しだろうか。
2010年くらいに東京での真夏日の記録となったことを思い出すが、いま思えばあれが今日の炎熱列島の始まりだったのかもしれない。今はむしろ猛暑日記録のほうが話題に上ることが当たり前となったのは隔世の感がある。
九月も半ば頃までは太平洋高気圧が出張って暑い日が続く予想だと聞く。
今までの暦感覚では乗りきれない夏。適度な緊張感からまだまだ抜けない日が続く。

微かな望み

昨日サーバー会社で大きな変更があり、昨日の投稿分が反映されておりません。
具体的には手許のバックアップが昨日午前3時時点のものですので、それ以降の分は再入力をお願いいたします。
ご迷惑をおかけしますがよろしくお願いいたします。

ふんづけてなほ踏み固め大根植う

菜園の大根が毎年上手くいかないので、今年は少し早めに蒔いてみた。
彼岸頃に蒔くのがいいらしいので、失敗すればまだチャンスがあるし。
原因ははっきりしていて地中深くに潜む大根ハムシの仕業である。場所によってはまったくいないところもあるようだが、当歳園はどこも皆さん悩みの種。箸やピンセットでこまめに除く人もいるが、そんなことではとても追いつかないくらい数が多いのである。
早く蒔く狙いはそうした虫が、もしかしたらこの暑さで活動が鈍っているかもしれないという微かな望みにかけているからである。
しっかり芽が踏ん張れるように土を踏んで固めてあとは結果待ち。

お茶を濁す

飼猫の喧嘩をさばく夜の秋

山の端に日が沈んだとたんに風に涼しさが加わる。

わずかずつだが秋の兆しを体で感じるようになったのは嬉しいが、昼間の日差しに射られるととてもじゃないが立っていられない。暦では秋だが皮膚感覚ではまだまだ夏のままである。
虫の声も少ないし、水もまだまだ生温い。秋の材料を求めるのは至難の業で、今日の句のように夏の句でお茶を濁すしかない日々である。

天を仰ぐ

稲の花あるじ病に倒れしと

盆地の田はようやく花の季節を迎えた。

菜園の隣では田植したもののその後体調を崩して田の草もままならないのは見るに忍びないが、他の田にくらべやや遅れてはいるものの穂が揃い始めた。
主に代わって面倒を見ている人もいるようだが、やはり毎年のように美しいとは言えない。
境界の草を折半しながら刈ることになっているのだが、この分ではこちらが負担せざるをえず、いつまでも残暑が尾を引いている状況では天を仰ぐしかない。さらに、秋冬野菜の準備に追われるなかでなかなか手が回らないというのもあって、気をもんでいるのだが。

あと四日

炎熱もものかは野球少年団

熱中症警報が毎日出される。

それでも少年野球が町内グラウンドで練習に汗を流しているのを見て、ほんとうに大丈夫かいなと心配になる。
意外に本人たちは気にしてないかもしれないし、練習時間にも配慮しているのだろうが、他人ながらはらはらしながら見ている。
そのグラウンドで夏休み最後の子供イベントが行われたようである。こちらは午後5時頃から開始とあって熱中症は心配しなくてもよさそうだが、コロナ禍以来大勢が集まるイベントが久しぶりとあって大盛況のようである。夏休みもあと四日。北海道とは違って冷房化率がここ数年で進んだ校舎だから、休校と言うことはない。気持ちを切り替えて新学期を迎えてもらいたいと願う。

一様

夕風につられスウィング韮の花

放置したままのニラに可愛い花が咲いた。

直径3センチほどの毬のような白い花が可憐である。おりしも夕立の雲が近づいてきて涼しい風が吹き始めると、茎の長さ30センチのてっぺんに咲いた鞠がみな一様に揺れ始める。
見ているこちらも涼しさをいただいたようで、汗まみれで帰ってきた身にも優しい風が吹いてきた。