まともな夕立

二車線をともに突つ込む白雨かな

高度510メートルの標識がある。

気温計は盆地より六度くらい下がってきた。
これだけの気温差があるのはもちろん高度差だけではない。
高度が100メートル上がれば0.6度下がるという算式に従えばせいぜい2、3度の差でしかないからだ。
理由は夕立。おりしも黒雲が前方から盆地にかけて広がっているなと思った途端バラバラと大粒の雨が窓を叩く。たたでさえ事故の多いことで知られる峠の下り道だけに、各車一様に速度を落とし慎重な運転に変わる。
何とか無事に盆地にたどり着いたが、ここも珍しく気温が下がっていた。夕立のあとの涼しさというのもなかなか感じられないでいたが、ようやくまともな夕立に出会えたような気がする。

喜雨

出穂のけふか明日か稲の妻

久しぶりにしっかりした夕立があった。

いつもなら一二度咆えるだけで終わる雷も今日は大サービスだ。
雷の放電によって大気中の窒素が地上に降ってくるそうだ。したがって雷の多い年は豊作というのはあながち迷信ではないと言える。
この雨と雷によって毎日眺めている田も明日あたりは出穂が見られるかもしれない。出穂前の大事な時期の雨と雷に農家は喜んでいるのではなかろうか。
そういう素人菜園家もこの雨は大賛成であることはちがいない。
「出穂」は通常「しゅっすい」と読むが、掲句では「でほ」として扱っています。

秋がない

原付のカバーに残る処暑の雨

今日は処暑だそうである。

暑さが峠を越えて秋らしくなるのだという。
たしかに夕方雨雲が過ぎたあとはそのまま曇となって、いくぶん暑さがやわらいだ気がした。
ただ、太陽が隠れて強烈な紫外線が遮られたただけで、大気そのものは湿度も変わらず夜になっても新涼という気分にはほど遠い。
やはり秋というものは朝と夕からはじまるものだと思うのである。
長期予報では11月まで平年以上の高い気温だとか。秋を感じないまま冬に入るのであろう。

実験

朝の陽に花小さくも秋茄子

なお暑いけれど茄子が復活してきた。

ここは実験畝で草や落葉、もみ殻、竹、木材などを埋め込んで肥料、農薬はいっさい使用しない健康野菜を作ろうというチャレンジ畑である。
最近知られるようになった植物と地下の菌たちのネットワークの力によって栽培しようと言うのである。
前期は湿度が足りなかったのが原因で菌が発生しなかったので栄養不足で成長が今一歩、弱った茄子は虫に食われるはでぼろぼろだったのである。
原因がはっきりしたので、大変だったがせっせと水やりを続けていたら最初の菌糸が見えてきた。こうなるとしめたものである。
あとは菌のネットワークが育つよう見守るだけである。
その甲斐あってか艶のいい秋茄子が育ちつつある。今度は虫喰いもなさそうでこのまま順調にいくといいのだが。

挽回

跳び先はおんぶばつたの妻に聞け

極端にアンバランスなおんぶバッタのカップル。

今日見つけたのは夫は妻の十分の一くらいしかない。
どこへ行くにも妻任せの夫は気楽なものである。
今年はバッタの活躍が少々遅いようで、それも暑さのせいだろうか。
こいつらが増えると一番頭を悩ますのが冬野菜の苗を食い荒らすことである。順調にきていても突然成長の芽を食われると一巻の終わりである。それでも夏野菜ならば蒔き直しして挽回可能だが、冬野菜の一週間の遅れは一ヶ月の遅れに等しく苗を買うしかなくなるのだ。
とりあえず緊急避難として部屋に取り込んだが、その後はどうしよう。

耳に胼胝

一升の麦茶飲む日のつづきけり

秋の季題を探すのにも疲れた。

昼間の行動は危険とばかり、もっぱら冷房の部屋に籠もっている。
かかりつけの医者には冬でも水をちゃんと摂れと耳に胼胝のできるくらい聞かされてるが、この夏は言われなくても朝から冷たい麦茶のお世話になっている。
一升どころか、だいたいは2リットルのペットボトル一本分は軽く空けている。
汗となって体を冷やしてくれると思えばもっと飲んでもいいはずであるが。

残暑

はびこりて手こずりをりぬ猫じやらし

今年の猫じゃらしの元気の良さといったらない。

猫じゃらしにかぎらず、おおむね今年の草は猛々しいものがある。よほど雨に植えていたのだろう、数少ない雨のチャンスも逃すまいと一気に丈を増してくる。
猫じゃらしの実はこれまたなかなか立派な尾のようで、これを放置したらとんでもなく種をまき散らすのは必定で、若いうちに刈らねばと思うが何しろこの暑さである。なかなか予定通りにはいかない残暑である。