供華

供華台に位置定まりて花菖蒲

唐招提寺では、僧を除く職員のことをことさら特別な職名で呼ぶことはないそうである。

例えば、東大寺では二月堂修二会における童子などあるが、そういうことは一切ない。
このことは作句する場合にはちと厄介で、単なる「寺男」では勅願時レベルの大寺には何となく不向きだし、誰それがどうした、という類いの句は作りにくいかなと思う。
例えば、掲句だが、これは「唐招提寺」と染め抜いた法被を着た年かさの職員が、若い職員に指示しながら供華台に乗せる花瓶の位置や向きを細かに指示している様子をみたものだが、それをそのまま17文字に閉じこめるのはかなり窮屈になる。

一方で、各お堂への供花を準備しているのは作務衣を着た学僧、作務僧だったので、

作務僧の供華に切り詰む花菖蒲

と誰それがどうしたという風には詠むことはできる。

前者の場合こそ作句力が試されるケースだと言えようか。

鑑真の故郷の名花

一ㇳ筆の右往左往の蜷の道
秒速のミリにとどかず蜷の道
その歩みおほどかなりし蜷の道
来し方のかばかり著し蜷の道
その先へまだ伸びてをり蜷の道
蜷の道殻のわずかに震へつつ
先頭のわずかに震へ蜷の道
踏み固めらるることなく蜷の道
幾山を越えるにあらず蜷の道
塗り替へてまた塗り替へて蜷の道
朝にはまた新らしき蜷の道
道の上にそのまた上に蜷の道
へしあひて消し合ひ勝り蜷の道

今月の吟行句会は西の京。

近鉄西の京駅で降りるとさっそく紅萩に迎えられ、右に薬師寺に向かうグループ、左へ唐招提寺グループとめいめい好きなロケーションを選ぶ。
薬師寺を訪れた回数に比べ圧倒的に少ない唐招提寺に向かうことにした。緑も深く涼しかろうという下心もあったのだが、目論見はみごとにあたり、国宝の青葉若葉の盧舎那仏、十一面の千手観音さまに手を合わせたのち三々五々境内に散る。

句材は至る所にあり、掲句の田螺もその一つ。同じ池にはカワニナも点々としているし泥鰌もくねる。はっきりとそれと分かる杜若もあれば、花菖蒲、黄菖蒲、。。。。鑑真御廟の前庭の苔の花、池には牛蛙が鳴き、和上の故郷・揚州から送られた名花「瓊花(けいか)」の青葉。一歩お堂に入れば薫風が駆け抜け涼しいこと限りなし。

例によって出来は今一歩。時間をかけて醸成できればよしとしよう。

三列シートの夜行バス

明易や三列シートの夜行バス
ひむがしへ一路夜行の明易し
短夜の時間調整夜行バス
短夜のカーテン細めに夜行バス

土曜の夜、急用ができて長距離バスで横浜に行った。

盆地内の南の方から順に客を拾っていき、県内を2時間くらいかけて天理を最後にようやく11時頃に名阪国道に乗る。横浜着が6時5分前という予定だが、相手が道路だから、当然交通事情により前後する。
かつて夜汽車でひどい車酔いしたことがあるので、ちょっと不安があったが意外に寝られるもので、途中目が覚めたのは、一度目は伊勢湾岸道あたり、二度目は新東名道路のどこか、という具合だった。
車が停車した気配に目が覚めたとき、Gmapで現在位置を調べるともう秦野だった。時刻は4時過ぎ。予定より随分早く着いたようで、時間調整のためと思われる駐車状態がつづく。カーテンの隙間から外を覗いてみると夏の空はもう白み始めているようで、地平線に近いところが赤くなってきている。もうこうなると寝ることはやめて、一年ぶりの神奈川の景色を車窓から楽しもうと思った。

結局、時間調整してもなお30分ほど早く目的のYCATに着いてしまって、5時20分。日曜日だし、横浜駅のコンコースには人は少ないだろうと思ったが意外に多くの人が行き来しているのにはちょっと驚いた。

防護用サングラス

自転車の群れめまとひに突っ込みぬ

この時期川筋などを走っていると、からまれることが多い。

「めまとひ」とか「糠蚊」とか呼ばれるユスリカの仲間で、散歩の途中で出会うとしつこく後を付いてきたりして鬱陶しいったらない。これが自転車の場合だと、出会い頭の衝突になりやすく顔などにツンツン当たってくる。自転車用のように目の横まですっぽり覆うようなサングラスをしている場合は大丈夫だが、普通の眼鏡やサングラスでは目に飛び込むのを避けることは難しい。
道路では石なども飛んでくるかもしれないし、自転車族には必須のアイテムである。

口に含む

朱鞠なる下葉のかげの草いちご

草イチゴ

山道は草花を見るのだけが楽しみではない。

口に含んでみて、その味や香りを楽しむのもまた一興であろう。
この草苺は誰でも見つけることができるほど直径1センチほどの大きさがあり、しかも真ん丸で赤いときているからよく目立つのだ。

明日朝から急遽横浜に用事ができ、今夜の夜行バスで駆けつけることになった。約9時間の旅。帰りは月曜の予定で、今日、明日と二日分の予約投稿。

お金が増える?

目も鼻も縞もそのまま蛇の衣

それはシマヘビの脱皮した後の皮だった。

歩く会のエコロジストでもある講師が、ポリ袋に空気を入れ膨らませたものに蛇の皮を大事そうにしまい込んだ。子供たち相手の自然観察会で見せてやるんだという。
たしかに、町の子にとっては蛇の皮など見る機会は滅多にないだろうし、生き物の「脱皮」という生態を知るいい教材になるだろう。
我々の世代なら、かつて、財布に入れておけばお金が増えるとか言ってしまい込んだ経験のある人が多いかもしれない。
だが、全身が完全に残った蛇殻を見るのは久しぶりだった。

柿の木は残った

廃屋の解体跡の柿若葉

かなり崩れかかっている家があったが解体されて今はない。

その時どういうわけか、柿の木一本だけが切らずに残されたのだった。今日通りかかると、その木は若葉がまもなく青葉になろうかという頃で、小さな実さえつけているのだった。
古屋の頃から誰も収穫しないで朽ち果てるに任せていたのが、今年また空しく実をつけようとしているのだった。