想定外

やり残したること多き梅雨に入る

昨日28日関西・東海地方が梅雨入りした。

平年より10日ほど早いそうである。5月のうちに梅雨入りするのだから相当早いことは確かである。
梅雨入りが早ければその分梅雨明けも早いとか。ということはこの夏が長くなるということだろうか。それも迷惑な話だと思うが、さりとてあのじとじとした日が長く続くのも我慢しがたい。
考えてみれば、最近は夏が長くなり、その分春や秋が短くなったような気がする。寒い、寒いと言ってるかと思えばたちまち夏になり、暑い、暑いとこぼしてるうちにいつの間にか冬になっている。

梅雨が来るまでに車を洗ってワックスもかけよう、畑の夏対策もしなきゃ、などなど思ってるうちにやり残してしまったことの多さよ、この5月は。

吉備池廃寺跡

大寺の跡みずくまま花うばら

大寺跡みずける池や花うばら

近鉄大福駅から南へ15分ほど歩き、西に磐余の地を望むあたりに吉備池廃寺跡がある。

吉備池廃寺跡

ただ、その一部が江戸時代に灌漑用に築かれた池に埋もれてしまっているので、ここにかつて最初の勅願大寺「百済大寺」があったとはとても信じられない。
舒明11年(639年)発願、天智7年(同668)完成したという「百済大寺」は東西、南北とも約150メートルの広大な敷地に、金堂、講堂の他推定高さ64メートルの九重塔がそびえていたという。法隆寺の五重塔をもしのぐ高さだ。
百済大寺は、その後天武2年(同673)に解体されて高市に移築され「高市大寺」そして「大宮大寺」となり、さらにまた文武朝には飛鳥京「大官大寺」として九重塔、金堂が建てられ、平城京に移ってのちに大官大寺は焼けたが716年現在の大安寺に移築されたという変遷を経ている。

百済大寺跡として国の史跡に指定されたのが2002年でわずか10年ちょっと前にすぎず、遺跡の本格的な保存はまだこれからという状況である。ふだん誰も立ち入らないのであろう、池の縁は雑草に覆われていた。一行がこれを払いながら進んだ後には、はっきりと一筋に草が踏まれた跡が残るのであった。

飛鳥京からみた香久山

香久山の意外に低し花樗

山ならぬ丘の形(なり)負ひ花樗

万葉の森の花樗

昨日は桜井市「森とふれあう市民の会」主催の鎮守の森を観に行こうかいで、近鉄大阪線大福駅を出発点に同耳成駅に帰ってくる、香久山を時計回りに一周するウオーキング。

香久山の東側麓に「万葉の森」という散策の径が整備されており、ここでも草木に因んだ万葉歌碑が道々に建てられている。今月上旬の奈良公園ではまだ開花していなかった栴檀も、下旬ともなるとこの散策路を覆い被せるように満開だ。

万葉の森
散策路は北から南に向けてゆっくりと登り道となっており、その道が尽きる辺りを分岐してさらに登り道を進めば香久山頂上に行き着くという。
スタートしてからずっと気になっていて何度も地図とにらめっこしてはそれらしき辺りを見てきたのだが、いったい香久山とはどの山をさすのか、はっきりとした確証が得られずにいた。盆地の平らな部分に単独でいる耳成や畝傍ならば遠目にもすぐに見分けられるのだが、香久山だけは今日まで分からずにいたのである。

万葉の森を香久山の南側に降り、さらに西側に回って、飛鳥の雷の丘から真っ直ぐに北上する県道24号線沿いの奈良文化財研究所藤原旧跡資料室のあたり、飛鳥京の東に出てはじめて香久山の姿をはっきり確認できたときは、ようやくつっかえがとれたような気がした。さらに言えば、この資料館は飛鳥京からみると香久山を借景とする位置に建っていると言える。
香久山は単独の山ではなかった。それに、意外に低かった。だらだらと小高い丘陵やその間に集落を形成しつつ多武峰の方から飛鳥京に向かって山が降りてくるのだが、南北に連なるその最終の丘が香久山だったのだ。その姿形は飛鳥京からしか見えないとも言える。しかもそれは一部にすぎないのであるが。

持統の見た「白妙」とは、ほんの目と鼻の先ほどの距離だったにちがいない。歌のなかでは「干すらし」と推測しているが、実際には肉眼ではっきりと分かっていたと思うのだ。

狩の練習

尾の傷のまだ新しき蜥蜴かな

みぃちゃんたちを保護する前の話。

子供たちが遊んでいるところへ、みぃちゃんが何かを咥えてやって来て、それを子供たちに与えた。どうやらそれはまだ動くもので、子供たちには手に負えないものらしく、時折みぃちゃんが咥えては子供たちのところに戻している。
目をこらしてみていると、なんと哀れにも尻尾の根元からちょん切れた大きな蜥蜴だった。どうやら狩の稽古にと囚われの身となったらしいが、尻尾を切っても逃げられなかった蜥蜴にとってはピンチなのだ。
みぃちゃんたちを追っ払い葉の陰に隠れた蜥蜴を救出して逃がしてやったのだが、めくれ上がった傷口が妙に生々しかったのが今でも目に浮かぶ。今頃は新しい尻尾が再生しているといいが。

今日は第51回 鎮守の森を観に行こうかいで、香久山の周囲を歩いてきますので予約投稿です。前回のようにいい吟行にもなったら明日から暫くシリーズとする考えですが、さてどうなりますやら。

いつの間に

ひさかたの土に親しみ蛇苺

みぃちゃん騒ぎでここ数日は畑どころでない日々が続いていた。

夕方ひさしぶりに畑へ降りてみると、途中あぜ道に蛇苺がびっしり生えている。しばらく前には小さくて黄色い花がいっぱい咲いてるなあとしか思っていなかったのは、どうやらこの蛇苺の花だったらしい。今は直径1センチにも満たない小さな実だけど、もう立派に真っ赤に熟しているようにも見える。
名前からして毒々しいが実際は食べても問題ないらしい。ただ、まずいだけである。

子猫の保護

保護したる子猫のあごの強さかな

全身で母を恋ひをる子猫かな

野良のみぃちゃん一家は親子の絆が特別に強い。

半年以上にわたって毎日餌を与えていてもみぃちゃんの警戒心が強く、とても捕らえられないので避妊手術ができず、とうとうこの3月と思われる時期に4匹の子猫を産んだらしい。
らしいというのは、私たち家族の前に子猫の姿を見せたのが5月に入ってからだったのだ。その後保護して手なづける傍ら里親捜しする予定でいたが、あまりにも親子の絆が強く親子を切り離して子猫だけを保護するのに手間取ってしまった。そうこうしているうちに1週間ほど前に雄のキジ虎の姿が見えなくなった。みぃちゃんは二日ほどはいなくなった子を探しに出かけていたが、とうとう諦めたらしく、その後は残った3匹に全愛情を注いでいる。

これ以上子猫の犠牲を増やさないためにもまずは子猫保護をと、罠をしかけてようやく3匹を確保することに成功した。親の気質を受け継いでか子猫たちも大変警戒心が強い。しかし時間をかけて馴らしてゆくほかあるまい。でなければ、里子に出すことさえむずかしいのだから。

残る問題は親のみぃちゃんだ。家の外からときおり狂ったようにして子供を呼ぶので、近所迷惑このうえない。今度はなんとか親猫を保護してせめて授乳だけでも室内でできないか、その方策を思案中だ。

さて、保護した子供たちは生後2ヶ月をすぎ歯もしっかり生えてきたようで子猫用のフードを与えているが、一時的にケージに移そうとしたらものすごい力で暴れだし手ひどく指をかまれてしまった。

窓を開ける

薫風や羽影の主の誰ならん

窓を開けるのが心地いい季節だ。

風の取り込み口は低く、逃げ口はより広く高くするのが最も風が吹き抜けるコツだということだ。今日はそうするまでもなくわずか開けるだけで十分快適な外気にふれることができる。13時40分、机の上の温湿度計は気温27度、湿度27%を指している。こんな日は戸外で動けば暑いと感じるだろうが、室内で静かにしていればこのうえもなく気持ちがいい。

何をするともなく庭を眺めていると、何の鳥だろうか、鳥影がよぎるのが見えた。