河童になりそう

菜園の科か三食胡瓜もみ

子猫の世話とか、毎日いろいろやることが多くてなかなか外出できないでいる。

最大のものは納期の迫った仕事なんだけど、なかなか捗らなくて精神的にも余裕をなくしてしまっているのが問題だ。近頃は菜園も、作句も、自転車も思うに任せず、ストレスが溜まる一方だ。
菜園のほうは放っておいても毎日胡瓜が6,7本くらい採れるので、ご近所にもお裾分けしているが毎日というわけにはいかず冷蔵庫も悲鳴をあげているそうな。
そんなこんなで、毎日三食胡瓜漬け。食い過ぎて塩分過多も気になるし、いやはや。
家庭用の胡瓜というのは一株植えるだけで十分だと言うことを身に染みて感じるこの頃である。

山鉾巡行の日

鉾の稚児注連縄切るをテレビで見

今日は雄壮というか、剛毅というか京の山鉾巡行の日だと昼のニュースで知った。

祇園祭のハイライトとも言えるこの行事、京都には近いので一度くらいは見たいものだと思うが、暑さがピークの今時分行われるとあってはなかなか腰が上がらない。
調べてみると大変な歴史がある祭りなので、関係する季語の数は半端ではない。現地に1時間もいればたちまち10句くらいは容易に作れてしまうのではないかと思うくらい、役目を負った人やら行事やら舞台装置やらしきたりやら、ある程度の予備知識を仕入れていかねばならないのは当然だが。

ごろ寝

勝手口塞ぐばかりに西瓜寝る

水不足でかなり深刻な畑。

収穫を間近にした西瓜や真桑もみな半分以上枯れかかった株となってしまって、これ以上の生育は望めないかも知れないので、成熟にはいくらか足りないかもしれないがいくらかはましそうな西瓜を一個収穫してきた。結実後40日なのであと5日ほどは欲しいところなのだが。

大玉で収穫後2,3日は寝かせなさいとものの本には書いてあるので、とりあえず勝手口においてあるのだが。

新盆

朱の文字のひとも鬼籍に墓洗ふ

三重の真宗高田派は新盆らしい。

父母ともに実家は曹洞宗で旧盆であったが、初盆の法会はこの月末にお願いしてあるしお墓参りだけはと行ってきた。
一般には8月にお詣りする人が多いと見えて、どのお墓にも花が手向けてはなく、真上からの日射を気にしながらの作業ではあったが何とかお墓にたまった水垢などもとってさっぱりとした。
この墓は父が亡くなったとき母が建てたものなので、当時まだ十分に健康だった母の名前が朱文字で刻まれていたものだったが、とうとうその当人も地下の人となってしまった。

お詣りを済ませた後は、これも目的だったのだが名物の鰻を食いに津まで足を伸ばした。

干天

夕立の山越えてまで来ないらし

大阪や京都では雷雨模様だという。

こちらも幾らか降ったことは降ったが、お湿りにもとどかない程度。今日くらいは水やりしなくていいかと期待していたが、どうも無理のようだ。
畑の作物も水不足で大変なことになっている。猛暑を理由に見回りを数日さぼったのがいけなかった。西瓜も真桑も南瓜も茄子も、みんなみんな死にそうである。それでも、トウモロコシは虫にだいぶやられてるけど何本か収穫にこぎ着けることができた。

白いアクセント

姫女菀今を盛りに平城址

吟行の終わりに大極殿北側に達した。

ここからバスで句会場まで向かうのだが、バスを待つ間近くを歩いてみると姫女菀の白い花がここかしこに咲いている。どこにでもあって普段は目立たない花だが、だだっ広い平城宮跡に立ってみるとその白いアクセントが様になっているのだ。

どこか懐かしい草

雑草と違へ捩花引きにけり

この頃は気がつけば庭の雑草を引いている。

ちょっと放置するだけで手が付けられなくほど伸びるからだ。
朝、新聞を取りに出たときや胡瓜などの野菜を採り入れるさいに伸びかけた雑草を引くわけだが、とくに、外来性の草と思われる抜いても抜いても毎日あちこちで芽を出すしぶといのもいて彼らとは毎日根比べだ。

だが、なかには思わぬお客さまもいて、芝生に混じって捩子花が伸びているのを発見したときは「こんなところにも」と嬉しく思っていたのに、今朝手があまってうっかり他の草と一緒に引いてしまい、あとで気がついてがっかりしたのだった。
捩花は、前の家でも自然に生えてきたものを鉢に入れて持ってきたのがあり、どういうわけか大好きな草なのである。