持家政策のゆきづまり

古家を今に飲まんと葛の花

散歩していると無住と思われる古家が散見される。

なかには葛の蔓が生い茂って屋根まで覆い尽くそうとしていることがある。このまま放置だとあと数年で家全体が飲み込まれ埋没してしまうだろう。

ニュースによると各地で持ち主不明の家が増えており、今にも崩れそうな家の増殖は近隣の安全を脅かしかねない深刻な問題になっているらしい。高度成長時代から今日まで政治や企業が一緒になって持家政策を推進してきたが、少子化、人口現象が加速度的に進むおりすでに数よりは質の時代に入っていることは間違いない。

追)急遽上京することになり、予約原稿です。

地政の要

天覧の相撲の先祖や歌まつり

秋場所開催中ですが、桜井市は相撲の発祥地とも言われています。

垂仁天皇の時代、出雲から呼ばれた野見宿禰(のみのすくね)と地元の当麻蹶速(たいまのけはや)が天皇の前で戦い宿禰が勝ったとされる話で、これが天覧相撲のはじめだとか。
桜井市の駅前には、「仏教口伝の地」とともに「相撲発祥の地」と大書された看板が目を引きます。
このほかにも市町村合併により桜井市は遺跡の多さを誇っていますが、立地的にも東・伊勢への入り口を背に東西南北交流の要にあり古くから栄えてきたことは容易に想像できるものがあります。

観音堂

鶏頭や海石榴市観音色を添へ

「海石榴市」の名を唯一今に残すのが「海石榴市観音」です。

金屋集落の奥まったところにありました。
観音堂の周りは今鶏頭が盛りです。
「椿」の花をシンボルにしていた市ということから「海石榴市」と呼ばれるそうですが、春は椿、秋は鶏頭が色を添えるのですね。

釣瓶落とし

駅ひとつ行く毎沈む秋陽かな

桜井からの帰りは大和八木経由で近鉄・田原本町線というローカル線で王寺町駅まで。

ちょうど盆地の真ん中を西北に横切るような形ですが、この線からは西側に二上山がよく見えるのです。
春分、秋分の頃は飛鳥から見ると夕陽は二上山に沈みます。
田原本町線は飛鳥よりはだいぶ北寄りですから、この時期夕陽は二上山と生駒山系の間に落ちてゆきます。
この日は夕陽が紅く染まってちょうど沈み行く時間だったのですが、各駅停車の電車が駅一つ進む毎にどんどん落ちてゆきます。もう「釣瓶落とし」を実感する季節なんですね。

八十の衢に

秋の田や八十の衢の経りにけり

桜井市の「大和さくらい 万葉まつり」に行ってきました。

初瀬川の特設舞台での「万葉うた語り」、川では「歌垣火送り」と言う灯火流しなど万葉集にちなむ行事でした。
うた語りでは保育園児から神主さんのグループやら趣味の団体など数多くの披露があり、なかでも園児たちの演技は古代衣装も相俟って大変な人気。
一部をYouTubeを借りて紹介します。
松山では老若男女幅広く俳句が親しまれていますが、ここ万葉の故郷中の故郷と言える桜井市でこのようなイベントを通して市民にもっと愛される万葉集であってほしいものだと思います。

うた祭り会場からほど近いところにある、かつて海石榴市(つばいち)が開かれたという集落を尋ねてみました。当時の繁栄など想像さえ及ばぬほど地味でしたが、今日の祭りの華やぎが届いて、かつての「八十の衢」の眠りを覚ましたかもしれません。

海石榴市観音のまえにある歌碑です。

紫は 灰さすものぞ 海石榴市の 八十の衢に 逢へる児や誰れ・・・巻12-3101

米寿

白露の日米寿迎へし老母かな

今日は「白露」。

大和盆地の北部では豪雨があったようだが、盆地中西部の当地はこともなし。ただ、黒雲が去ったあと涼しい風が吹いてくる。昼間の残暑は厳しく、毎日のように夕立模様だが、朝晩は過ごしやすい候となってきた。
この時期の朝露を白露とは何とも絶妙なネーミングだが、天気がしばらくぐずついている間は露はまだ降りまい。明日、明後日と雨模様の予報だからである。

食事療法を続けているのでたいした祝いの膳も用意することなく、母が今日88歳の誕生日を迎えた。

柔肌

無花果や観音様ごとやわらめり

法輪寺近くの農園らしいのだが、無花果の評判がすこぶるいい。

久しぶりに畑に出た後寄り道したところ、ここはと思う辺りの店を覗いてみた。
珍しくはあるが無花果というのは元々たくさん食べられないので四個入り300円のパックで十分だ。

そっと手で触れてみたら、柔らかい!
天気不純で収穫量は少ないというが、それでも甘さは相当のものだろう。
本当はワイン煮などが合いそうであるが。