予報官

雨蛙鳴いて降雨や名にし負ふ

雨蛙とはうまく言ったもので、雨が近づくとギーコギーコと鳴いて知らせてくれる。

今日の予報は雨だったので外出を控えたのだが、午前中は快晴、午後は曇りで全く雨の気配がない。
午後9時になってようやく一匹が鳴いたなと思ったら、数分もしないうちに雨がやって来た。

庭の蘭の棚を住処とする雨蛙は依然健在である。

梅雨明けも近い?

神坐す山より出づる雲の峰

梅雨明けを思わせるような天気だった。

温度計はうなぎ登り、軽く30度を突破。
盆地の東側、山の辺の道方向を見ると入道雲が湧いている。

今週はしばらく雨模様だが、なんとなく来週には明けてしまいそうな予感が。。。

日に日に成長

採り忘れもはや胡瓜でなくなりぬ

胡瓜の実の成長は早い。

収穫タイミングを逃すとあっという間にへちまのように大きくなってなってしまって、なんとも不格好である。
マイファームの利用者は子育てファミリーが多いので、畑に来られる日が週末に限られる。一週間ものブランクがあるとお化け胡瓜があちこちにぶらさがることとなる。
やはり、週末菜園家にとって無難なのはさつも芋で、一番手がかからなくてよい。しかも収穫はいっぺんで済むし子供にやらせれば喜んで引き受けてくれるし。

素朴だが

冷素麺野菜スティックの夕餉かな

麺類というのは昼食時に食うものと思っていた。

ところが、午前中いっぱい畑仕事をしていて、昼はコンビニ弁当(家の者は外出で不在)をしっかり食べたら、午後はたまらず風通しのいい部屋でたっぷり昼寝。

当然夕食は軽いものがいい。
家の者も夕食の準備は軽く済ませたいからと意見一致してさっさと冷や素麺を作ってくれた。
添え物は畑の採れたて胡瓜。カりッとした歯ごたえと素麺の冷たい喉ごしがマッチして満足満足。

年に一度

七夕や母の手借りて飾り付け

季語「七夕」は秋のものである。

なぜなら、本来の七夕伝説にちなむとそれは陰暦の7月7日であるからだ。
なんでも陽暦化するならいの中で七夕といえば今では陽暦7月である。

陽暦7月といえば列島は梅雨本番の真っ盛り。これでは牽牛と織女が年に一度の逢瀬も楽しめないのは道理のことで、陰暦ならば今年は8月24日、処暑のころといえば空もだんだんと澄んでくるであろうし、神様もそこまでは意地悪ではないのである。

ところで今日の句だが、幼稚園で作ってきたのだろうか、お向かいの女の子が願いをかけた短冊を、母親におねだりして一番高いところに飾り付けてもらっていた。

苦い酒

ころころと転がる玉の蓮酒かな

源氏物語にもゆかりが深いという宇治の三室戸寺で今日蓮酒を楽しむ会が開かれたというニュースがあった。

蓮の茎の中を通る途中でいろんな成分を溶かし込むので苦みが加わるという。
酒の味を楽しむと言うよりは趣向を楽しむものであろうが、蓮の葉の上をあっちこっち転がる酒をこぼさぬよう注意深く睨みながら飲むのは楽しかろう。

蓮酒を別名「荷葉酒」ともいうが、これを検索すると東京都町田市薬師池公園で「荷葉酒をいただく会」というのがあるそうだ。何度も通った公園だがそんな行事があるのを今更知ったというのも皮肉な話だ。

涼を演出する

緑陰と霧のシャワーがプレゼント

この時期自転車、ウォーキングは大変だ。

ようやく雨があがってさあと思っても真っ昼間のお日様にはかなわない。
あっという間に水分は奪われるし、熱中症なんぞになった日にゃ。

まだ暑い日中のさなかに犬を散歩させている人を見かけるが、あれは間違いなく動物虐待罪。
他人や動物に対してあまりにも感度が鈍い種族なんだろう。
物言えないものだけに、かれらをよく観察し、その身になって考えることができないのは「人」(ひと)とは言えない。

今、春日大社ではあの藤棚から水を霧状に散布して涼を演出している。嬉しいサービスだ。

追)書いてからしまったと思った。「緑陰」は3日ほど前に使ったばかりだった。