同世代

秋の鐘町に童謡作家住み

童謡「きらきら星」の作家が当町に健在でおられることは前にも書いた。

そこで午後五時に子供たちに帰宅を促す放送の冒頭にこの曲が流れることになったのは四、五年前のことである。
実際に菜園にいるとき聞いてみれば、年寄りも早く帰れとばかりに聞こえてくる。
ところで、朝の新聞で童話作家の死を知った。
子供たちとも共通の話題になりうる『ぐりとぐら』のの作者である。享年80とある。意外に年齢が近いことを知った。
あまりにも有名な本だから、もう随分昔からあったのだとばかり思っていたのだが、親子ともどもお気に入りの読み物だったのはほぼ同世代に近い作者にいたく共鳴したからかもしれない。
ここのところ同世代に近いひとたちがつぎつぎに亡くなってゆくニュースが多い。私もそういう世代の年齢に達したのだと思わざるをえない。

徹底徹尾

はたおりの亭主女房につきつきり

何か月も同じ格好している。

気がつけばメスがオスをおぶったままのバッタが庭のあちこちに出現して3ヶ月以上になるか。
いわゆるおんぶバッタである。なんで今年はとくに多いのか。その理由がよく分からないけど、兎に角庭のあちこちに見かける。
どこに行くのも一緒というのはうらやましい仲だが、実際は一カ所にじっとしていて動くことが極端に少ないというのも徹底徹尾一貫していて、それもまたよきかなである。

もったいない

数珠玉の雨に打たれて行めきぬ

一気に気温が下がった。

たしか昨日は真夏日。今日は20度そこそこだから、10度の開きがある。
考えてみれば今までが異常な暑さなのであって、これが平年の気温なのである。
こうなると冬はもうすぐそこに来ていると考えたほうがいい。暑いのもいやだが寒いのはまた辛い。
束の間の秋を味わねばもったいない。

虫天国

虫喰にめげず二度目の大根蒔く

どうも葉物類、とくにアブラナ系は鬼門のようである。

特にひどいのは大根の類いで、小蕪、二十日大根などは芽が出たらたちまち虫の餌食になる。昨年もそうだったが、大根サルハ虫という黒くて丸い小さな虫が地中深くから湧いてくるようで、これがとても手で捕り切れないくらい多いのである。
幼虫が地中深くで育つので手が出ないという厄介な虫である。
とくに田圃跡を畑にする場合、水を溜めるために深さ30センチくらいのところに固い層があり、その下にいるらしい。いわゆる硬盤層というやつで、これを破らないと水はけが悪くなったり、水持ちも悪くなる。これを突き破るにはトラクターで深く耕すしかないのだが素人農園ではそうもいかない。
せいぜい、根を深く張る大麦、ライ麦などで抵抗するのが限界である。
ということで、比較的虫に食われることがすくないレタス、春菊など菊科を蒔いておくのが無難ということらしい。
キャベツの仲間もアブラナ科で、これは蝶々の幼虫、青虫の餌食となるが、こまめに虫を捕ったり虫除けネットなどで防御すれば何とかなる。
虫捕りもネットもしないわが菜園の秋は虫天国のようである。

体にいいこと

買うてでる水仕三日目神無月

熱くもなし冷たくもなし。

今ごろの水道水が一番楽である。
水温は平均気温に遅れる傾向があるので、まだしばらくは素手でも十分に使える。
上さんが留守ではないのだが、腕が本調子でないので、重いものを持ったり、運んだり、できるだけ引き受けているだけである。運動不足気味の身には家の中でもできるだけ体を動かすという意味ではいいことなのであろう。

軽快

烏より長き沐浴秋寒し

温めが好みだが。

さすがに朝晩がめっきり涼しくなってくると、風呂の設定温度も秋仕様になる。
冬はさらに一度上げるのだが、今はちょうど四十度がいい頃。
それでも長湯にはまだ早い時期。さっさと済ませその一時間後が就寝どき。
いつもそういうパターンなのだが、ここのところ二台のスマホの機種変更、ノートブックPCのディスクのSSD化に加え二台のwinパソコンのOSバージョンアップ、しかもV8.1からV10そしてV11へと二段階アップで夜なべならぬ深夜残業の連続。すっかりリズムが狂ってしまった。
ところで、8年前購入でもう動きが重くてどうにもならなかったwinノートブックが、わずか三千円以下のSSDで見違えるような軽快マシンに変身したのは、大変苦労した作業もおおいに報われたと言える。取り外したHDDはむろんバックアップ用に転用といいことづくめ。あと五年は行きまっせ。パソコンと命とどちらが早いか。

繰り上げ

あまねくも海無し県の秋日かな

好天吉日。

真っ青な空。
気持ちいいほど晴れた。
あと数日はもつということだが、この間にやれることはみなやっておきたい。
何しろ日がだんだん短くなって、いつもの「帰ろう」放送が今日から五時に繰り上がった。
当町在住の作者にちなむ「きらきら星」が、有線放送で各地区一斉に流れることになっている。子供たちへの声かけの一種だが,春からの半年は午後六時。日の長さによって使い分けしているというわけだ。
いつもより早い放送に思わず時計をふりかえったが、今日は十月一日ということにあらためて気がついた次第である。