墓碑こそ教材

泰国デ戦死と彫られ終戦日
英霊の少年のまま終戦日
墓碑銘は生ける教材終戦日
墓碑銘の一行重き終戦日

墓参してきた。

家人の実家の寺には村の英霊の墓20基あり、同道した子に墓碑を読ませ、戦死した国が広くアジア各国に及んでいたことを教えるいい機会になった。北は「北支」、南は「泰国」とあった。なかには「本州中部方面」とあったが、これは戦病死か。享年19歳から31歳。小さな村から応召し、その多くが若い命を散らせたことになる。家人の父は教職に就いていたことから応召から免れ、かろうじて血を絶やさぬに済んだ。

精気を奪う

掃苔の客の跡なる花萎び

兄妹揃って参ることはまれである。

父母ともに故郷にいなくなると、離れて暮らしている兄弟は、いろいろ都合があって墓参の日取りを合わせられない。しぜんに、個別に参ることが慣わしになっている。
たいていは墓に近い妹夫婦が先に参ってくれているようで、いつもお参りするときにはきちんとお花を供えてくれてある。秋とは言え残暑は厳しく、水は湯のようにもなって花から精気を奪うのだろう。痛んだものを取り除き、新しい供花を足すわけだが、熱い墓石にかけた水はたちまち乾いて、つくづく石の中の仏は辛かろうとつい声をかけてしまう。

マーマレード

新涼のジャムの蓋開くぽんとあく
新涼のジャムの封切る使役かな
新しきジャムの蓋開け涼新た

まさに新涼だ。

久方ぶりにエアコンなしに熟睡できた。
また、新涼とは静かなものだとしみじみ思った。
昨日まであれほどうるさく鳴き立てていたクマゼミ軍団どもが、まさに鳴りをひそめているのだ。ほんとに不思議なことだと思っていたら、案の定朝9時を過ぎたあたりから合唱が始まった。ただ、これまでよりはいくらかおとなしいようである。
もしかしたら、蝉というのは気温というものにも敏感な生き物であるのかもしれない。

動物霊園に参りにいった。
たいした用意もしてないが、喜んで戻ってきてくれるだろうか。

種弾け

河原石積める垣内の鳳仙花
鳳仙花屋根に石載す杣暮らし
爪染むる叔母見たるなく鳳仙花

もうずいぶん減ったろう。

山国熊野の暮らしはかつて林業に支えられていた。集落の男たちは、山主に雇われて、昨日はあの山、今日はこの山へと入り、下草を刈ったり、枝を払ったり、切り出した木を運んだり、川では筏師が河口の集木場まで運ぶ。
どの家も、平屋の屋根に届くかと思える高さまで河原の丸石を積み上げて垣を築き、檜皮の屋根を丸石が抑えていた。
垣のうちには南天を植え、柿を植え、どの家も整理が行きとどき、つましいながらそれなりに身ぎれいに暮らしていた。

林業は今では外国材におされて見る影もなく、男たちは町へ出てしまったが、毎朝男たちがやたら大きな弁当箱を腰に巻いて出かけていった姿が今でも鮮明に思い出すことができる。河原石を載せた家がいくらか残っていたとしても、それは打ち棄てた家になってるかもしれない。

帰省ピーク

出稼ぎの衆にかはれる盆用意
髪切っておくこと忘れ盆祭

盆路の草刈り、草取りなど男手が足りないと女や老人がやるしかない。

山の奥ならば、集落の墓場まで高低差があったりして、なかなか重労働である。
初盆の家など、松明を盆路に並べるのはさすがに女手ではつらいので、集落では相身互いの共同作業となったりもする。

三世代、四世代同居の時代ならばこうした光景も見られたろうが、生きてゆくために働き盛り世代が都会に出てしまってる現代では、盆のしきたりや行事というのは今でも維持されているのだろうか。
今年も盆帰休の渋滞がすごいらしい。事故なきを祈る。

起承転結

手花火の爆ぜて燭の火消えにけり
頑是なき子に手花火を持たせみる
手花火の手に姉の手の添へられて

いつの頃からだろうか。

線香花火がちっとも面白くなくなった。
というのも、燃焼している時間が昔に比べて極端に短くなっていること。と同時に変化にも乏しくなっていること。
線香花火は、燃焼過程でいろいろな変化があってこそ楽しい。初めに「牡丹」といわれる玉を形成しワクワク感が高まる過程、そして「松葉」と激しく火花を散らしてハラハラする過程、それがおさまると「柳」といって長く糸を引いたような過程を経て、最後は「散り菊」でパッパッと火花を散らしながら火の玉になって名残を惜しむ時間をはさみ、玉が落ちてその余韻に浸る。
こうした「起承転結」に富んだ花火の変化があるからこそ、一本一本が点火されていくたびその時間自体がいとしく、もっともっと続いてほしい、まだ終わらないでほしいという気持ちでせつなくなるのだ。
何とも味気なくなった理由は、いつのまにか外国製の安いのにとって変わられたからだという。
手作りで手間がかかる国産花火は価格で太刀打ちできなくなって、国産の線香花火は数パーセントしかないと聞く。
国産のものを手に入れようにも、そこらのスーパーやホームセンターなどでは見つからず、それこそネットで検索しないと手に入らない。
たとえ一本が百円、数百円しようが、本物の線香花火をもう一度かざしてみたいものだ。

合唱曲「千羽鶴」

虹色の鶴は希望を長崎忌

清々しい歌声と、その歌詞に耳を傾けた。

今日の平和記念式典で、乙女らによって歌われた被爆50周年を記念して作られた「千羽鶴」という合唱曲だ。
見たことがあるような制服だったが、これは娘の通った学校の姉妹校の生徒と知って合点がいった。
長崎市では、この日11時2分になると、防災無線放送でこの曲が流れるという。
かれこれ20年以上歌いつがれてきたことになるが、世界平和を願うこの歌の理想からは、きな臭い中東といい、極東といい、現状がますます遠くなっているような気さえする。

町の防災無線は今日もこの時刻乾いた鐘の音を流し黙祷を呼びかけていたが、夕には同じスピーカーから迷子になったご老体の捜索依頼が流れてきた。すぐに「無事保護された」とアナウンスがあって、無事解決したようだった。