味が勝負と

ごきぶりの牛脂まみれの床走る
新妻の別の顔みえ油虫
ごきぶりの宿の詫び状菓子添へて
油虫親の敵とばかり擲つ
ごきぶりも立ち回り上手も好かん

店は汚いが味はよい。

そんな店がだんだん姿をけしてゆく。
床が永年の脂でぎとぎとして、いまにも転びそうになるくらいスリッパリーなのに、店員は汁一滴もこぼさず丼を客席に運ぶ。
あそこのラーメンは最高だったなあ。

いつの間にか消える

捩花の尺に足らざる背比べ
捩花に足が止まりてつぎつぎと
捩花の目線に屈む芝野かな

まるでど根性大根のように舗道の隙間に伸びている。

まわりを見ると、いくつも一直線の捩り花が穂を伸ばしている。
葉が出るのが遅いので、芝刈りや除草から免れたと思われるものが点々と散らばっているようだ。
この穂も先端まで巻き上がると、やがて穂が消え失せ、葉もいつの間にか姿を消している。いったい何のために生まれてきたのだろうかといつも不思議に思うばかりである。

寺には娑羅の花が似合う

真言宗花沙羅散らす大僧房

玄関先に姫沙羅が散っている。

ずいぶん前から咲いているが、雨がずっと降らなくて、乾いたまま散ってゆくのを見るとちょっと違うなという気がする。
やはり、梅雨時の花なので、紫陽花同様にしずくが似合うと思うのだ。
その紫陽花で知られる矢田寺では、いくつかある僧房のひとつにすっくと一本、堂々とした夏椿が辺りを払うように立っている。これなどは、無言ながら気品を漂わせ、紫陽花に負けない存在感がある。
沙羅の花はやはり寺院に似合う。

生計の水路に

河骨の浮きつ沈みつ雨後の水

葉の間から黄がのぞいている。

睡蓮ともちがうし、もちろん蓮とも違う。
池とか、水路とか、浅いところに生きている。
その名の通り、骨のような形をした根茎が底に根付いているからだ。
なかなか大がかりな群生したものはみないので、どこそこのが有名ということはないが、睡蓮や蓮が咲くような場所なら発見することができる。
潮来の舟遊びで発見することもあるだろう。

謎多い石造遺物

酒船石涸るるにまかせ竹落葉

明日香はなぞの石造物が多い。

土木好きな斉明天皇が都の周囲にいろいろ作らせたという説もあるが、どれも諸説があって依然なぞのままである。
酒船石は明日香村の斜面にあるが、この村もご多分にもれず竹林が浸食していて、この遺跡のあるあたりも竹林に覆われている。
石にはミステリアスな窪みや溝が刻まれていて、全体に里に向かって軽い傾斜があって、水のようなものを流すような意図があるように思われる。もちろん、今は石だけが残されているだけで、その窪みや溝には竹の落ち葉が積もるばかりである。

不穏な空気

屋根シートめくれて茅花流しかな
紙コップ転がる茅花流しかな
読みかけの本伏せ茅花流しかな

茅花が絮になるころの南風。

湿気を含んで梅雨近しを思わせる風であるので、どちらかと言えば不穏な空気を予感させるものがある。
例えば、被害のあった家屋の屋根のブルーシートの一端が、いまにもめくれそうで、梅雨期の不安をいっそうあおっている。

一夜限りのベジタリアン

鶏鳴かぬ落人村の山椒魚

夏の季語だという。

名の由来は、山椒の香りがするからというが、オオサンショウウオならそうかもしれない。
一般には山椒魚は2,30センチくらいで、すらっとした肢体だから肉なんかあるかと思えるくらいだが、ところによってはこれを干したものを焼いて食わせる店や宿がある。
山深いところ、山椒魚は貴重なタンパク源であった集落だ。ここは、平家の落人が隠れ住み、鶏を飼ってはならないという決まりを長く守ってきたと伝えられている。
その村の宿では、山椒魚の焼いたものが目玉となっているが、ゲテモノが苦手な僕はイモリのようなものを顔の前に突き出されたら、さすがに顔をそむけてしまう。かくして、ほかのメンバーがうまいうまいとぱくついてるのを横目に、なんとも情けないベジタリアンになるしかないのである。