寒くとも食欲

大絵馬を写メにて送る初写真

雨の橿原神宮吟行。

気温も上がらず傘を持つ手が冷たい。
いきおい歩く距離も少なく、一カ所でじっと写生に撤することとなったが、どういうわけか腹がすく。
昼を待ちきれず食堂で温かいものをいただいて人心地つく。
日替わり定食で量が少なかったせいか、夕方も腹が減って食欲まんまん。
出来は今一歩でも食う気だけは衰えてないのを喜ぶべきか。

小寒

臘梅に人來て人の寄りにけり

曇天に影もなく臘梅の形はそばに近づかなければよく分からない。

いつの間にか臘梅が咲いていたのだが、まだ咲き始めたばかりとみえて匂いは全くない。鼻を近づけてもあの独特な甘い香りがないのだ。しげしげと眺めていると臘梅に気づいた夫婦もまた近づいてきた。
今日より小寒、つまり寒の入りだから野山には花が一番少ない季節である。一面枯れたなかにあってあの黄色い花は人目を引くのだろう。
最近は西洋タンポポが一年中咲くなど全く花がないわけではないが、やはり枯れたような枝に明るい花だけがついた臘梅は人の目を引きつけるのに十分である。

傍若無人

本局に仕事始の長蛇かな

昨日土曜日は本局だけが窓口営業。

切手や葉書を買ったり、書類や小荷物を送ったり、月曜日を待ちきれない人たちの長い行列ができていた。
スーパーやコンビニと違って、レジでバーコード読んで「はい、いくら」と言うわけにはいかず、いろいろな事務があって一人当たりの時間が長い。待っている間にも列がどんどん伸びて外にまであふれているのが分かる。
見ていると、局員の対応ののろさというよりは客の姿勢の方が問題があるように思える。
要領よく用件を伝えられない、金を出す段になって財布を探す、など傍で見ていても無駄な時間がいかに多いか。
傍若無人という言葉があるが、これだけの行列をみて少しでも早く事務を終わらせる心準備がほしいものである。

たらふくに

鼻先に畳目地ある寝正月

冬の日差しが最後までさし込む部屋で。

その部屋がわが家で一番暖かい。
うっかり寝てしまえば風邪を引いてしまうようだが、腕枕で横になってると畳の目の跡が頬につきそうである。
猫どもも一番暖かい場所はよく知っていて、みんな集まってくる。
たらふく食ってたらふく寝る。
太らぬ道理がない。

東の顔

ケーブルカー乗り継ぐ駅へ初電車

軌道こそ見えないがケーブルカーが走るあたりは見当が付く。

近くにいながらまだ行ったことのない場所のひとつが生駒山上公園、通称「聖天さん」こと宝山寺である。
生駒まで電車で20分弱で行けるし、大阪や奈良へ出るには必ず通過する駅なのに、その駅から降りたことはない。
なぜ行ってみようと思う気持ちにならないのかというと、生駒山は下から仰ぎ見るだけで十分の魅力があるからだと思う。
とくに、山腹の四季の移ろいや暗峠にかけての鞍部の美しさにいつも目を奪われているからではないだろうか。
つまり、私にとっては生駒山は登る山ではなく下から仰ぎ見る対象なのである。
先日も車窓から見ていると、鷹が生駒を巻く気流に流されてゆくのに見とれていたし、毎回通るたびに何らかの発見があるのである。
西側、つまり大阪側の顔と東側の顔と違う面があるかと思うが、断然東側つまり奈良県側の顔が好きである。

浴後1時間

薬湯の素をふりかけ初湯かな

最近の入浴剤はよく温まるのを実感する。

だから入浴剤無しの風呂というのはここ何年も入ったことがないくらいだ。
冬は総じて炭酸系、泡がぷつぷつ出るタイプがいいらしい。温まるし、湯冷めしにくいという実感がある。
かくて冬は10分から15分湯船に浸かり、体の芯まで温かい血液がめぐるのを待つ。このあと1時間くらい後に寝るのが最高の眠りを約束するという。
正月といってもこのルーチンを守り昨夜は8時間睡眠を確保。
ことしもこのペースは大事にしていきたいと思う。

午前7時のころ

カーテンの四周にもるる初明り

今年もまた素晴らしい初日の出であった。

伊勢方面の空が明るくなって、高見山あたりの雲が金色に輝き始める。
山上ヶ岳、八経ヶ岳など大峯山地はまだ黒いままである。
やがて高見山のシルエットがさらにくっきりと浮いてきたかと思うと、さっと初日が顔を出し、産土の杜が照らし出された。
その光はみるみる街の屋根を覆い、カーテンをあけて眺めていた自室にもダイレクトに光が飛び込んでくる。
その光に我にかえり思わず両手を合わせるのであった。