ラムネ売り

巌積む渓を転がる河鹿笛

遡上すればするほど大岩が現れる。

滝道を曲がれば曲がるほど道が細くなり、河鹿の鳴き声が近くなる。
だいたいの居場所は見当がつくものの、鳴き声が岩にこだまするので在処はつかめない。

滝見茶屋で一休みしようと店をのぞけば、冷たい清水に冷やしたラムネがうまそうだ。
だが、所望するとラムネは冷蔵庫で冷やしたものにかぎると、奥から持ってこられたのには驚いた。こちらは、滝清水で冷やしたラムネがほしいのに、押しつけられるようにして持たされたラムネを手に途方に暮れる。

水が命とか

太き枝支柱に誘ひ茄子の花

いつもそうなんだが、前半までは元気がいい。

さて、これからとなるころに勢いが失速してしまうのだ。
肥料の問題なのかどうか、原因はよく分からない。
ただ、茄子は水が大事と聞いているので、プランターには水やりは朝夕様子を見ながら与えているが、すでに7月の気温だというので、毎朝毎夕たっぷりが必要なのかも知れない。

俗説

半日を棒に振ったる昼寝覚

ちょっとのつもりが、何時間も寝ているときがある。

二日続きの好天で、今日も外ではやることが山ほどある。
午前中の涼しいうちにと動き出したが、日射しがほんとに強い。麦わら帽、水もたっぷり飲みながら、汗もだくだく。
昼からは、久しぶりに窓を全開して一休み。のはずが、いつの間にか眠っていたようだ。

ここ最近はちょっと動いただけですぐに体がいうことをきかなくなる。
睡眠も8時間以上ないと体が動かない。
年寄りは早起きだというのは俗説に過ぎない。

洗濯指数

学生の街の予備校五月晴

五月晴と言っても気分が晴れない場合がある。

雨だから嵐だからと言ってサボれない境遇の身にとって、逆にこの梅雨晴れ間が恨めしくさえ思えるときがあるものだ。
勤め人とて、このうえない好天気のときに満員電車に1時間以上揺られると思えば気がふさぐときもある。
素直に五月晴れを喜べないときがあるのも人生の綾だが、できれば素直に感謝できるにこしたことはない。

子育て真っ最中

夏燕鯉の頭上をすれすれに

燕が水面の虫を追う。

それに驚いたように鯉がはねる。
燕は子育て真っ最中にちがいない。せわしげにタッチアンドゴーを繰り返している。
口の中には子ツバメの餌となる虫をいっぱいためこんでいるのだろう。

からから回る

農小屋の風読む仕掛け青嵐

矢田の里山歩き。

このあたりは、神話で天磐船に乗ってきた饒速日命(にぎはやひのみこと)が射った矢が落ちたところに降臨したと伝わる里で、見た目は典型的な谷戸の里山風景が広がる。
その谷戸に開けた市民農園にはペットボトルを加工した風車がからからとまわり、小屋の屋根には風力計がのるなど、矢田ならではの様相を見せている。
以前に、楼門にプロペラが奉納された飛行機の神さまのことを紹介した。
おとぎ話のような神話伝説だが、古代の混沌とした時代のことなど夢想しながら散歩するのも悪くない。

雨の待合室

内科医の手持ちぶさたも走り梅雨

そろそろ梅雨入り宣言ありそうな天気だ。

毎月の薬をもらいにかかりつけ医のもとに行く。
待合室はがらんとしてすぐに順番が来る。
いつものように血圧計り、70-122と正常値。聴診器ぽんぽんとあてて「はい、異状なし」。ものの二、三分であっけなく終了。
あまりに簡単に終わったが、どっこい。覚えのない血液検査料を請求されて聞き返す。
おまけに、処方箋にいつもあるべき薬のリストがない。薬局の人を走らせて、あれこれと。
先生、事務方ともちょっとリズムが狂ったようである。