もの言わぬ花に

よそよりはちょっと遅れる杜鵑花かな

ようやく杜鵑花が咲き始めた。

世の中だんだんと花の時期が早まっているのに、このさつきだけ遅れるというのはどういうことなんだろう。
さつきというとゴールデンウィークの花という固定概念があって、今頃咲かれても興ざめの極みだが、花に花の理由があるんだろう。
主の手入れが悪いと言ってむくれているのかな。

スタンドで

工場のなかが産屋よ燕の子

ガソリンスタンドの工場で燕がしきりに出入りしている。

整備工場のなかに巣をかけたようである。
主に聞けば、夜はシャッターをおろしているという。
民家であれば、家人も同居しているので早朝から賑やかに鳴いて催促もできるだろうに、翌朝は主がシャッターを開けてくれるまでやきもきしてるのだろうなと想像するだけで、なんといじらしい生き物よと思ってしまう。

クールスクール

機上はや彼の地のこころ更衣

外人旅行客のなんと身軽な服装よ。

われら日本人よりよほど更衣は早く、Tシャツに短パンが闊歩している。
逆に我らだって、彼の地に旅するときは意外に身軽に出かけてもいる。
旅のこころがそうさせているのかも知れないが、服装にかぎらずやはり旅はいいものである。

毎朝決まったように駅へ駆け下りてゆく子がいつの間にか、ジャケットを脱いでブラウスだけになった。
身軽にはなったが、小柄な体に不似合いなほど大きなショルダーは相変わらずで、ローファーをペタペタ鳴らして駆け抜けていくのも変わりがない。
昨今は学校の更衣も一斉にではなく、気温にあわせて各自が自由に判断できるようになったとか。クールビジネスの時代、クールスクールだって当然だろう。

近道

沈み橋人みあたらず走梅雨

通勤の人たちの近道である。

ここは斑鳩インターから下流の昭和橋、つまり国道25号線が越える橋だが、約3キロにわたって一本の橋もかかっていない堤防を走る道路である。だから、その中間にある沈下橋は地元の人にとってはなくてはならない橋なのである。
ふだんの水面から2メートルあるかないかの高さに架けてあるので、盆地にちょっと降ったかなと思える雨でもすぐに冠水するようである。雨後に通りかかると、流木などのごみが橋脚につっかかっているのをよく見る。
ペーパードライバーの家人に言わせれば、よくあんな細い橋を渡れるもんだと呆れているが、慣れた人にとってはどうということもないのだろう。
ハンドルには自信がある私でも、渡りたいとは思わないけれど。

触書

軽暖や空き巣被害の触書まはる

「軽暖」。

虚子によって夏の季語という扱いでは、薄暑、初夏の頃のやや暑さを覚える時候の言葉である。
対して、一般では「軽暖の候」というと桜の時期、やや暖かくなってきたころを言うようである。

いずれにしても、ちょっと気が緩みがちで、うっかり戸締まりを忘れたり、油断するとたちまち空き巣泥の被害に遭う。数日前にすぐ隣のブロックで一晩で三軒も破られたとの速報が届いた。
今日も窓を開けたまま、うとうとする時間があったが要注意である。

規制したらどうか

ふるまちの路地をせましと袋角

観光客が増えるのは喜ばしいが、鹿にとってはは少々迷惑なことも。

奈良に来る外人観光客のある部分のひとたちは鹿が目当てであるようだ。煎餅をおねだりして首を振るのが可愛いと、鹿をじらせたあげく怒らせて怪我をするという話が多い。
ちょっとしたことにも臆病な鹿たちは、ときに町に集団で逃げてくることもある。
狭い路地を鹿たちの群れが走るさまを想像してほしい。あれでは、出会い頭の事故などがあとを絶たないわけだ。年に百頭ほどが事故死ないし大けがを負っている。
スピード規制らしきものがないのもおおらかな一面、奈良公園周辺の渋滞なども鑑み時速20キロ、ないし徐行を義務づけしたらどうだろうか。そのために渋滞がさらにひどくなるのなら、パークアンドライドなどを本格的に検討する時期に來ているのかもしれない。京都の二の舞にならぬためにも。

牙を剥けば

僚船の無線の否や卯波立つ
西よりの蜑の恐るる卯波かな
遠富士に帰港急かるる卯波かな
水難の碑の半世紀卯波の海
卯波立つ校歌に美しき伊勢の海
卯波立つ浜は名うての二枚潮
上げ潮に川さかのぼる卯波かな

海のない国なので、過去から引っ張ってきた。

誓子が病気療養中長く伊勢にいたことは有名だが、そのおり戦後新制高校ができて校歌の作詞を依頼して誕生したのが母校の校歌である。70年近く歌いつがれてきたわけであるが、そのふだんは優しい海もときに牙をむくときがある。
あれは昭和30年頃だったろうか、一見何の変哲もない砂浜で、中学生数十名が水泳の授業中に亡くなった悲惨な事故があった。近くの川から注ぎ込む水と海の潮が足許で二枚潮となって流れていたのが原因とされるが、以来遊泳禁止となって人が寄りつかない浜となったが、今でも忘れられずにいるだろうかとちと心配である。