一人また逢へなくなりて星今宵
今日は高校同窓生の古稀の会なので予約投稿である。
われらも卒業後半世紀を経ているわけだから、鬼籍に入られる方も年々増してくる。
総勢550名いた学年なので、なかなか全員の消息を知る機会も少なく、こういった同窓の集まりは近況を話し合ったり、消息を確かめ合ったりするまたとないチャンスである。
おそらく、今日も二度と逢えなくなった人の話で座が囲まれることだろう。
生きているものどうし、束の間の生を確かめる場でもあるのだ。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
一人また逢へなくなりて星今宵
今日は高校同窓生の古稀の会なので予約投稿である。
われらも卒業後半世紀を経ているわけだから、鬼籍に入られる方も年々増してくる。
総勢550名いた学年なので、なかなか全員の消息を知る機会も少なく、こういった同窓の集まりは近況を話し合ったり、消息を確かめ合ったりするまたとないチャンスである。
おそらく、今日も二度と逢えなくなった人の話で座が囲まれることだろう。
生きているものどうし、束の間の生を確かめる場でもあるのだ。
見慣れたる景の一変大黃葉
平群谷の雑木紅葉が今年はいつになく素晴らしい。
平群谷とは、南アルプスと日本アルプスにはさまれ天竜川流域を伊那谷と呼ぶように、生駒山地と矢田丘陵にはさまれた竜田川(実体は平群川と言ったほうが似合う)流域を筆者が勝手に名づけたものだ。
生駒へ用があって車で走らせたとき、左右の山があまりに見事な黃葉だったので、帰途は生駒山地の中腹を貫いているフラワーロードと呼ばれる農道へ遠回りしてもっと間近に見てみることにした。
生駒山地の稜線を見上げるようにして走るドライブは、まるで信州かどこかの山の中を行くような感覚だ。家から10分と行かない場所にこんなにスケールの大きい黄葉の景観が楽しめるとは。
このなまめかしい雑木黄葉はいわゆる冬紅葉ではない。雑木の黄葉とは今が盛りのようである。
二歩をよく知る友人たちからいくつかの追悼メッセージをいただきました。
弔句もいくつかいただきましたので、あらためて頁を起こして紹介したいと思います。
芭蕉忌と知りて旅立つ句友かな 南天
二歩さんともう一度飲みたいオールドパー 岩ちゃん
紅葉降り遥かな星へ友逝けり skyblue
(敬称略)
彼の過去作品500点あまりをあらためて読んでみました。
両親、家族や愛犬、そして酒、山、旅。
どれにも優しいまなざしが向けられています。
そう言えば、落語も好きでしたなあ。
温め酒志ん生に酔ひ漢逝く
萩刈つて狭庭いよいよ空しうす
萩のおかげで肩身の狭い思いをしているものがいる。
萩の隣に植えられているギンモクセイが葉を延ばそうにも、萩の勢いが勝るものだから窮屈で仕方がない。
毎年根元まで刈っているのだけど、年々大きくなってしまうようだ。今年は途中で切り詰めもしてみたが、よほど成長力があるのだろう。
これだけ大きくなると、いざ刈ってみればおおきな空間が空いて文字通り空しいような寂しさが漂う。
御破裂の紅葉且散り檜皮屋根
午後からは談山神社紅葉狩り。
盆地の雨は早くに止んだが遠くから見る御破裂のお山は雲の中なのでどうかと心配したが杞憂だった。
ただ、上がってみると雨は降り止んでいたが、十三重塔や本殿など檜皮葺の屋根からの滴りが止まないし、濡落葉が散り敷いた階段も滑りやすそうだ。
見事に紅葉した樹林に囲まれた境内をそぞろに進み、蹴鞠の庭から拝殿へ。
ここで多分模写とは思うが、鎌足の生涯を描いた「多武峰絵巻」の展示があった。英傑の出遭いとなった蹴鞠、大極殿での生々しい乙巳の変の場面にしばらく釘付けとなる。
参道の土産店で焼いた橡餅が珍しく、帰途車内でぱくついだが餡が甘すぎて橡の風味は今ひとつだった。
御物展慶し御流の黄菊かな
いささか時機を外している話。
先月終わってしまっている正倉院展会場での話である。
見終わって階上の展示会場から階下に降りるとそこはミュージアムショップ。見学記念にお土産品を買う人たちで混み合っている。庭に出て抹茶もいただけるコーナーもあって、紅葉が始まっている庭園を眺めるながら休息で疲れを癒やすこともできる。
その受け付け場所に目がとまったのが「法華寺御流」とある上品な黄菊の盛花だった。
嵯峨の大覚寺を訪れたときにも、門前に立派な嵯峨御流の生け花があって、そのとき初めて「御流」という言葉を知ったのであるが、奈良の法華寺も同じく門跡寺院であり、それぞれに自派の作法を確立しているのだろう。
雑踏のなかの生花はちょっと気の毒だったが、しばらく鑑賞させていただいた。
本復の筆のびやかに菊日和
恩師の個展が心斎橋で開かれている。
同期生も集合する日に合わせて、会場へ出かけた。
先年大きな病気をされた後リハビリに頑張ってこられた甲斐あってか、今回は30点近くも展示されていて先生の体力気力がいささかも衰えないばかりか、さらにパワーを増しているのではないかとさえ思える。
作風も随分変化があるように感じるものがあり、景色を描くなかにそこに息づく「生命」を謳歌しているよう風に思えるし、題だってどこか「俳味」さえ感じる軽快な調子がある。
短い時間でしかお話しできなかったのは残念だが、来年もまた素晴らしい作品にお目にかかれますように。
ご挨拶にお持ちしたちょっとした昔からの大阪名物。チャレンジしていただけでしょうか。