雪形と名づけた男

戦友の許に発たれて盆の月
戦友をすべて見送り盆の月
常念の黄色いテント盆の月

高山蝶に魅せられた男がいた。

教師をするかたわら常念に通いづめ高山蝶の生態を初めて明らかにした功績は大きい。
画布いっぱいに描かれた、手描きの写真よりも精細な蝶の絵は圧巻である。
蝶を追う一方で、山の写真もまた素晴らしい。「雪形」という言葉を生み出したのもこの男、田淵行男である。
生前に一度だけお会いしたことがある。隔月にいただく原稿のお礼を兼ねた取材旅行だったが、同時にお会いしたご夫人は「濱」の同人として句集を出されるなど、ともに品格あるお人柄に魅了されたことが懐かしい。

安曇野にある記念館に行くと、著作「黄色いテント」の題名ともなった、彼のイニシャルを刻んだ黄色いテントが人目を引く。

終戦71回忌

スマホ今ラヂヲの代わり終戦日
終戦忌ラヂヲの前に体操す
述語無き会話の世代終戦日
銃創の跡見せ父の終戦日

子供ができてからというもの、終戦の日と言えばほとんどを実家、あるいは家人の実家で過ごしてきた。

勤め先がメーカーだった関係で、この日を挟んで大型連休の恩恵にあずかってきたわけで、その都度渋滞をおして帰省したわけである。
いわゆるお盆休暇なので墓へ参るのが恒例で、終戦の日と言っても特別に何かあったわけではないが、酒に強くない父は酔っては脛の弾跡を見せて英雄譚を語るのであった。その父も、その想像を絶する体験をもってしても帰還後の人生はままならず不遇のままに生涯を終えた。

終戦の日と聞くと、部隊の1%も生き残れなかった戦場から奇跡的に生き延びた父は、軍隊にいるときこそが一番輝いていたような気がするのである。

墓を守る

掃苔の英霊六基従兄弟なる

朝から二カ所の墓参りを済ませてきた。

一つは実家の墓、もう一つは家人の実家の墓である。
家人の実家の墓に参ると、必ず線香を手向ける墓六基がある。
みな、先の大戦で若い命を散らせた義父の弟とその従兄弟たちの墓である。外地での戦死だからもちろん遺骨はなく紙だけが帰ってきたのだろう。それらの墓碑銘はいまだにくっきりと読むことができるが、どれもみな昭和20年の月日のものばかりである。とりわけ、心を打つのは終戦のわずか十日前に泰国で戦死したという文字。あと半年、あと十日生きていれば違った人生を歩めたものをという思いが頭をよぎる。
その従兄弟たちの墓には今年はまだ誰も訪れた形跡がなく、もしかしたら墓を守るひとたちの高齢化か、あるいは家系が途絶えつつあるのかもしれない。

「墓守をする人が絶える」。これは少子化がもたらす現実の問題としてそれぞれの身に降りかかってくる。
自分の墓をどうするのか。そろそろ考えなければならない時期に来ている。

爽やかな疲労感

ばった跳ぶ広き農業学校跡

庭に出ると小さなばったが逃げるように跳ぶ。

快晴だが、久しぶりに乾いた空気で風がどことなく涼しい。そこで、思い切って気になっていた雑草を退治することにした。
汗はもちろんしたたり落ちるが、蒸し暑くないので二時間くらい何とかもちそうだと思った。
草を刈っていると、キチキチ君だけでなく若いカマキリ君も慌てて逃げ惑う。
予定の分を終わって汗まみれの体にシャワーを浴びると、その後はまるで汗をすべてかききったように肌がサラサラして気持ちいい。この感覚は、海水浴を楽しんだあとシャワーで海水を洗い流した後の、爽やかな、軽い疲労感に似ていると思った。
この感覚はすっかり忘れていたものだが、それだけ運動から遠ざかっていたことを示すにちがいない。

重い腰を上げてさえしまえば、まだ何とかなる体力は残っていそうなのが分かっただけでも収穫である。

鎮魂花火大会

花火師の影の浮かべる艀かな
開くたび海上染める花火かな
大花火果てて覚悟の渋滞へ

海の上から軌跡を描いて火の柱が登ってゆく。

太平洋の真上に大花火が浮かぶ。
歴史のある熊野鎮魂花火大会である。
昭和30年代の頃は、七里御浜の砂利浜に寝そべってゆっくり見たものだが、今は遠く名古屋、大阪方面からも見物客が押し寄せ、あの狭い町に20万人が集中するらしい。毎年8月17日と決まっているが、浜の予約席は早くから埋まってしまって、当日気楽に見物しようなどと思ったらひどい渋滞でたどりつくのさえ難しいという。

この六月に亡くなった同級生のF君は熊野出身、この日初盆の精霊供養の花火が上がるかもしれない。

夜の秋

二人して朝のうつつのちちろかな

朝方夢うつつのなかでコオロギの涼しい声を聞いた。

妻もまた同じ鳴き声を聞いたらしく、朝の最初の言葉が「鳴いてたね」。
夜、風呂に入っても涼しいコオロギの声が聞こえてきた。

こんな佳句がありました。

一心に鳴くこほろぎと一つ風呂 眞下喜太郞

昔の木桶の風呂を思い起こします。
芭蕉の親不知子不知の句「一家に遊女も寝たり萩と月」を思い浮かべますが、これを真似て、

一家に枕並べてちちろ聞く

昼はいつ終わるかと分からない熱波だが、夜は徐々に秋の色を見せ始めている。

雨雲レーダーアプリ

稲妻に近づきつある家路かな

このところ三日連続で夕立がある。

最初に夕立があった日に、雨雲が近づくと警告を発してくれるアプリがあるとのことで、yahoo無料アプリをインストールしたらその後二日連続で予測は見事に当たった。
昨日も、夕方に外出の予定があって、いつもなら二階の窓は熱を逃がすためいくぶん開けておくのだが、雨雲レーダーではしばらくすると雨だというので、しっかり戸締まりして出かけた。案の定用事が済んで帰路についたら、前方の生駒、平群の方面でしきりに稲妻が走っている。信貴山辺りは雲もなさそうなので、この分では家の辺りは大丈夫かと思っていたのだが、何と家に100メートルもない処まできたら大粒の雨がウィンドウを叩くではないか。
車を駐車場に入れて駆け込むようにして家に飛び込んだが、またたく間にしっかり濡れてしまった。
インストールしたアプリはなかなか優れもののようだ。