観光地の日常空間

大鴟尾に烏睦める秋日かな

大仏殿大屋根に烏が群れている。

それも、賑やかにだ。追ったり追われたりしながら、まるでカップルや兄弟姉妹が睦み合うようにしてあの大きな鴟尾のある屋根で秋の日を楽しんでいるかのように。

南大門から大仏殿入り口にかけては観光客でごったがやしているが、ちょっと横に廻れば小春日の、短い日が傾く前の、ゆったりした時間が流れていて、大屋根のこんな光景もゆっくり眺めることができる。
ここから戒壇院へと下るエリアは、外国人や日本人観光客も少なく、東大寺幼稚園の迎えに保護者が来るときなどは日常の空気が流れているようにも思える。

東大寺を別の角度から楽しめるコースでお奨めである。

木の実降る径

石佛の御名をたどりて秋惜む

以前にも書いたことだが、白毫寺境内の奥には石仏の路と称する一画がある。

古い石佛が並ぶ径は山懐に続くので、この時期は木の実がしきりに斜面に降ってきてその転がる音が楽しめる。

露けしや御身欠けたる石不動

石佛の径は10メートルほど行くとすぐに尽きて、そこに不動明王さんが祀られている。
雷にでも打たれたのか、頭部の天辺部分が鋭角に欠けてちょっと可哀想。
御利益があるというので、寄らせてもらって頭を下げてみた。

奈良三銘椿

実のひとつ二つばかりに名の椿

樹齢四百年とされる白毫寺の「五色椿」。

天然記念物にも指定されている木は高さおよそ5メートル、樹冠も約5メートルで柵で保護されている。
花の時期は桜より幾分早い3月下旬からで、いろいろな色の八重咲きを見せてくれるところからの命名だ。
東大寺開山堂「糊こぼし」、伝香寺「散り椿」と並び奈良三銘椿の一つとされているそうである。

晩秋の境内にはいろいろな鳥がひっきりなしに訪れてくれるが、この椿にも寄ってくれて花のない時期を賑やかにしてくれる。また、椿には秋に実から油を採ることから季題になっているので、その実がついてないかどうか確かめたところ、わずか一つ二つばかりが枝の間から見えている。古い木だけに負担がかからないように枝や葉数も抑え、花の数も抑えているようだ。だからか、すっきりした樹形で奥の方まで見透かすことができるようになっており、もう他には実は見当たらないようだった。

根元の苔には小春と言える柔らかい日差しが届いていた。

皇子ゆかりの

皇子偲ぶよすがの歌碑に秋惜む

白毫寺は高円山の麓にある。

境内には、その高円山に向かうように万葉歌碑があった。

高円の野辺の秋萩いたづらに咲きか散るらむ見る人なしに 巻2-231

白毫寺はかの天智の志貴皇子別邸跡だという伝承があり、皇子がなくなったとき笠金村が詠んだ歌だとされている。萩をことのほか愛した皇子がいなくなって、高円のあたりに咲く萩を見るだにせつなくなるという歌だが、この歌碑が向いているのはその墓のある春日宮天皇陵(正式には田原西陵)だと札書にある。高円山の後背約3キロほどにある山間の地である。

皇子がなぜ天皇と称されたのか不思議に思ったので調べてみた。

天武系最後の称徳天皇が亡くなって、志貴の第六子白壁王が即位し光仁天皇となった。以降天智系の世が続くわけだが、その光仁が父に春日宮天皇の称号を贈ったからと知った。光仁自身も田原東陵に葬られている。
近年太安万侶の墓が発見されたのは、その両陵の間にある茶畑からである。

そのような歴史に思いを馳せながら高円山を眺めていると、権力争いから距離をおきながらも二品にまで上り詰め、かつ多くの万葉秀歌を生んだ賢明でいて繊細な皇子の波瀾の人生を思わざるを得ないのであった。

と、そんな感興に浸っていたら、歌碑の裏手を訪うものがある。笹子だ。

高円の野辺の変はらぬ笹子かな

白毫寺裏手はそのまま高円山につづく森となっていて、人の手もあまり入ってないように思える雰囲気がある。

帰り花かとみたが

玉砂利に粒と溶けゆく木の実落つ

椎の実がいっぱいこぼれている。

ただ、落下した先が境内の玉砂利で、木の実はまるで石の粒になったように溶け込んでいる。

ここは奈良市白毫寺。
晩秋の奈良盆地を一望できる素晴らしい立地だ。
萩の寺、五色の椿の寺として知られるが、秋でもあり冬と言ってもいいこの時期の句材が数多くある。

名にし負ふ花の札所の冬桜

とくにこの日目立ったのが冬桜、これから紅葉のシーズンずっと咲くというので十月桜とも言える。
小型の地味な花で枝いっぱい咲いていても、春のような絢爛たる華麗さとはまったく無縁なのが冬桜の特徴。

白毫寺へ登る萩の石段は有名で、その途中で冬桜を見つけたときはてっきり帰り花かと勘違いし、

乱磴の歩をゆるめては帰り花

と詠んでみたが、場所を特定しているわけではなし、これはこれで創作句として通じるのではなかろうか。

熟すを待って

牧の原一本柿の当り年

丘の上に柿の木が長い影を落としている。

葉っぱがすでに全部散った分余計に黄色い実が多く見える。
天に向かって真っ直ぐ伸びている木で、誰も手を入れている様子はない。収穫だって期待してないだろうし、採るとすれば烏や鵯などの鳥たちくらいであろう。種が運ばれてきて自然発芽して育った木なのか、あるいは誰かが植えた木で鳥たちに食べさせてやろうと思ったのかもしれない。

隔年に実が成るという木だから、今年は豊作の年。
鳥たちの気の済むまでついばめばいい。

冬の命をつなぐ

山雀の木の実運ぶに忙しく

貯食という。

リスなどが森に食料が少なくなる冬に備えて、木の実などを蓄える行動のことである。
鳥でも、鵙の速贄などは有名だが、烏や山雀でもそういう行動をとることがあるそうだ。

この丘陵公園の正面はエゴノキ通りとなっていて、初夏には白い花がぶらぶら揺れる。これが秋には丸い実となって、さらにまたぶらぶらと揺れる光景を楽しむことができる。
しかし、あるときになると急にその数が目立って少なくなってくるのだ。
どうやら、実を咥えたかと思うとすぐそばの林の中へせっせと運んでいるようだ。
バーダーも多くやってくるこの公園では鳥に詳しい人がいて、これを「貯食行動」だと教えてくれた。
えごの実が急に少なくなった理由がこれだったのだ。

貯食したものの食べ残した実も多くあるはずで、これが植物の生態の維持や更新につながっていることはよく知られている。
この公園はおおく人の手が入っているが、食べ残したエゴノキが公園の何処かで芽吹くことがあるかと想像するだけで心が温まる。

なお、「木の実落つ」は季語だが、単独の「木の実」は季語ではない。ただし、「椎の実」など具体的な草木の名を冠すれば季語となる。

余談だが、エゴノキという名前はえごの実にえぐみがあるからと聞く。
この鳥には人とはちがう味覚があって、それによって命をつないでいるわけだ。
さまざまな生き物がいて、それぞれに様々な生き方がある。
共生という地球のバランスが崩れないことを願うばかりである。