霊園で

逆縁の墓を洗うて父老いぬ

墓参してきた。

霊園なので多くの人が家族連れで来ている。
他の墓碑銘を見るともなく見ていると様々な家族の歴史が見えたりするが、なかには早世した子の名を刻んだものもあった。子の名を刻んだだけの墓というのは寂しすぎると思った。

トロットで駆ける

跳馬と見紛ふ曲がり胡瓜かな

今日は旧盆の初日。

霊迎えの夕を迎えるにあたり菜園の胡瓜で馬を作ってみた。
スーパーで売ってるような真っ直ぐな胡瓜というのでなくて、くるっとした曲がりが入っているが、それがかえって動きがある馬のようにも見えて、先端は尾を立てたようにも見える。

瓜馬の足というのは四本の足のバランスをとるのがなかなか難しく、一本は宙に浮いたりするものだが、それがまたトロットの馬のようにも見えないでもない。
ご精霊が一足でも早くお着きになるように。

蘇る

新涼や電気剃刀滑らかに

今朝は涼しかった。

朝の最低気温は22度だという。
エアコンを入れない夜は久しぶりであった。
不快な汗もかかなかったので、電気剃刀が皮膚のうえを滑らかに動く。

通勤の朝、洗顔をすませても汗がにじんだ顔に電気剃刀をはわすこと自体が不快で、夏の間は昔ながらの剃刀を当てた記憶が蘇ってきた。

墨田花火の思い出

川筋に近き花火のビル間より

一度だけ隅田川の花火大会に行ったことがある。

何十年前だろうか。
川筋の近くまで辿り着いたものの、ものすごい人混みでとても川縁には行けそうもない。
ただ、花火はごく近いのでビルの真上に揚がり、直径もビルの高さをとうに超えている。

しばらくは首が痛くなるほど顔を上げて花火を眺めていたが、やがてそれにも飽きて今度は喉の渇きを癒やすことに衆目一致したことは言うまでもない。

小花火大会

半玉の赤白青と遠花火

十キロくらい離れているだろうか。

丘の上から玉の半分をのぞかせて花火が上がっている。10分くらいで終わる程度の花火なので、どこかの小さな町で打ち上げているのだろう。
そう言えば、この時期毎年のように同じ方角に花火があがるので、七夕祭りや夏祭りの余興であげているのだと思われる。

10キロ近くは離れているが、ちゃんと届く音にうながされて2階に上がり数分楽しませてもらった。

嵯峨御流

撓まざる榠樝の枝の瓶にあり

嵯峨御流(ぎょりゅう)というそうだ。

嵯峨天皇の御世、大沢の池の菊を活けたものが素晴らしかったのでこれを範として生まれたのが嵯峨御流の興りだという。
大覚寺の玄関門脇には屋外に生花が展示されていて、黄色く熟した榠樝の実をつけたままの枝ぶりのしっかりしたものがダイナミックに活けられていて、否応なく目にとまる。じっくり拝見する時間がなかったのが惜しまれるが、あの黄色い実の重さに耐えている、葉も落ちた枝のたくましさが頭から離れない。

廬山寺にて

廬山寺はむらさきならず冬桜
橘の色を葉陰に源氏庭
白壁にさゆるる影の紅葉かな

御所見学を終えて次は廬山寺だ。

近年ここが紫式部の邸宅跡であることが証明され、以来ファンの訪問がひきもきらない。
ここの白砂の庭は源氏庭として有名だが、残念ながら季節外れにて紫のゆかりの桔梗は見られなかった。その代わりと言ってはなんだが、橘の実がすっかり色づいているし、冬桜も迎えてくれた。

前庭では紅葉の影が白壁に揺れ、筆塚の明朝体の揮毫が大変珍しかった。