御所見学

楝の実あふぎ始まる御所ツアー
蔀戸をあげて御所貼てふ障子
水曲げて落葉ただよふ御庭かな
実南天ここが小御所の鬼門らし

源氏物語完読旅行2日目は京都御所から始まった。

職員の案内で約1時間の見学だが、印象としては御所暮らしというのは意外に質素なものだったようだ。天皇のお住まいだといって金ぴかに飾り立てるどころか、逆にかつてお住まいだった清涼殿などは調度も質素に地味に設えられ、冬を越すにはいかにも厳しそうだ。東京遷都まで実際に住まいとして使われた建物などは、外は寝殿造り風でも内部は書院造り風で畳も敷かれてはいるものの、民の上流階級並の家と変わらないほどだ。
象徴的なのは障子で「御所貼り」という独特の貼り方だ。これは大きな紙は貴重だったので、小さな障子紙を何枚も貼りつなげる方法でその継ぎ目模様が大変ゆかしく美しい。

落柿舎

実式部の本懐ならん鳥寄り来

白式部と紅葉した南天

俳人にとっての聖地の一つ「落柿舎」を訪れた。

落柿舎の木守柿

源氏完読記念ツアー二日目の散策を終えてメンバーと別れ一足先に奈良へ帰ることとなったが、そこがちょうど落柿舎から5分とかからない場所だったので、時間は4時を回っていても迷わず立ち寄ることにした。
時期が時期だから二本ほどある柿の木のうち、一本の木はすでに実の一つも残っていないが、同じくすっかり葉を落としたもう一本にはまだまだ成熟した実が残っているのが遠目にも確認できて、すぐにあれが庵だと知れる。門をくぐると、この時間になると訪れる人もまばらで、ときおり次庵の庭からクリアな添水の音がよく聞こえてくる。

投句箱すへて間遠の添水かな

落柿舎に来たメジロ

そのとき、突然目の前の梅の古木のまわりに何匹かのメジロがまるで涌くように集まってきては近くの白式部の実をついばむのだ。ほんの1メートルほど先の光景だっただけにびっくりしたのって何のって。こんな経験は初めてだ。花鳥風月を愛でる俳人ゆかりの庵には、こうして鳥たちだってすっかり警戒を解いてくれているのかもしれない。

三重塔夕照

黄落や暮れてなほ地のほの浮かび
黄落や昏るるにしばし間のありて
黄落や昏るるにいまだ迷ひをり

夕日が法輪寺の三重塔を照らしている。

法輪寺黄落

山門脇の銀杏の葉が斜光を透かして明るいものがあれば、影を作っているものもあり、そのコントラストが際だった時間帯だと言える。
また、山門の屋根をよく見ると丸瓦に寺の文字が刻んであったりして、なかなか凝った意匠である。小春の、むしろ暖かいほどの半日を散策に費やしていると、帰るべき時間はとっくに過ぎているのであった。

懐かしい匂い

田仕舞のけぶり懐かしかぐはしき

もみ殻のほかにこぼれた藁屑や穭穂を焼いているらしい。

稲藁の焦げる匂いははどこかなつかしくていい香りがする。稲藁なんていうのは最近はめったに手にしたことがないが、庭木の防寒対策にと藁をホームセンターで買ってきた。結構いい値段がするのには驚くが、鼻に近づけるまでもなくいい匂いに思わず深呼吸してしまうほどである。
新藁ならなおさら香りは高く、これを燃すのだからまた特別なものがある。
しばらくは眺めるともなくそのまま立ち尽くして懐かしさに浸っているのだった。

町木

町の木の楓紅葉の庁舎かな

今我が町の街路樹や公園、学校は今紅葉真っ盛り。

摂社として龍田姫をお祭りする龍田大社があるからだろうか、町のシンボルツリーはモミジである。大和川の河川敷から街を見上げると(全体が信貴山に向けた坂の町)、町の至る所が紅葉しているのがよく見えるのだが、それは見事なものである。たっぷり広くとった校庭の小学校など、フェンスに沿って植えてある木はすべて落葉樹らしく楓、桜、欅などそれぞれに色を染め分けてみごとなアンサンブルだ。

柿畑の主

色鳥の尾羽を金茶に打ちふれり
尾羽打てる鳥のしばしに柿の畑

法隆寺にはなくても、斑鳩の里にはある。

柿畑である。法隆寺の後背部にあたる、法輪寺や法起寺の辺りはまさに里といっていい風情が残されていて、果物の産地でもある。大小のため池の周りには葡萄、無花果、柿の畑が点々と広がっていて、今は柿の木に真っ赤に熟れた実が鈴なりである。
遊歩道も整備されているのでその周りを歩いていると、「カタッカタッ」という音が響き渡ってきた。その主は柿の木のてっぺんにいるジョウビタキの雄で、しきりに尾を打ち鳴らしているのだった。ジョウビタキというのはいろんな鳴き声を聞かせてくれる鳥なのだが、その日はただ尾を打ち鳴らすのみ。何のための行動かは分からないが時々に響く音にしばらく耳を傾けた。

晩秋の響き

ばったんこ錆びたる音を打つばかり
ささくれて音のもれたる添水かな

まるで飛鳥の酒船石を模したようかのような石造物がある。

四つ五つを少しずつ傾斜をつけて組み合わせ、上から下へ水を流すしかけである。ここは何時行っても枯れていて何のために作ったのか首を傾げることが多いのであるが、三連休のあいだに訪れたときに水が流れているのを初めて見た。
この水は途中いろいろな変化をつけながら、曲水を描くようにやがて大池に流れ込んでいくのであるが、段差を大きくつけてある部分では山紅葉が覆っているのでせせらぎの音だけ聞こえてきて、これが五感すべてを癒やすように心地よい。
で、この酒仙石だが、近づくにつれ何だか様子が変だ。添水の仕組みを設えてあるのはちがいないが、周囲にひびきわたるような小気味いい音とはいかず鈍い音しか聞こえてこない。どうやら竹が古びてひび割れているのが原因だった。まさに竹刀で叩くような音そのものなのである。

明日はいよいよ立冬。晩秋を感じとるにはちょっとわびしい音であった。
馬見丘陵公園にて。