鰯雲きょうという日の瑞兆なれ
朝起きたら空気が澄んでいた。
上空を見ると鰯雲がゆっくり広がってきている。瑞雲というものがあるそうだが、そんな大げさなことではなく、心がゆったり洗われるようないい眺めだ。
昨日は手術を憂いていたのに、一夜明ければ瑞兆だと喜ぶ。なんとも心の持ちようが軽すぎると思いつつ。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
鰯雲きょうという日の瑞兆なれ
朝起きたら空気が澄んでいた。
上空を見ると鰯雲がゆっくり広がってきている。瑞雲というものがあるそうだが、そんな大げさなことではなく、心がゆったり洗われるようないい眺めだ。
昨日は手術を憂いていたのに、一夜明ければ瑞兆だと喜ぶ。なんとも心の持ちようが軽すぎると思いつつ。
入院の日取り定まり秋愁ひ
術後1年点検の日取りが決まった。
念のための検査と聞いていたので簡単な検査かなと思ってたら、なんと2泊3日の入院検査であるという。今度も手首よりカテーテルを挿入して心臓血管までたどり、造影剤を流しては血流が滞っている部分がないかどうか調べるそうである。
もしも、そのとき新たな縊れや詰まりが見つかると、即座にステント挿入という手術が行われ、入院はさらに1,2日延びるとも。
いやはや、前回は点滴のための静脈確保のとき大変痛い目に遭っているので、今度こそは上手な人にやってもらいたいと願うばかりである。
そう言えば,今日の血液検査は今までに経験のないくらい痛みを感じない、それはそれは見事な腕で、注射というものがこんなに楽であれば子供たちだって泣くことはなくどんなにいいことだろう。
竹林の高みに鵙の標を宣る
秋が来たんだとしみじみ思った。
稲淵の棚田を歩いていたら、突然鵙が鳴きだしたのだ。飛鳥川の縁にかかる竹林の一番高いところに止まって、高々と縄張り宣言しているようだ。
鵙の声というのは、ドラマでもそうだが里の秋を表現するには一番効果的のように思う。
鵙はひとしきり鳴いて、また縄張りのどこかに飛び去った。
銅の閼伽にこぼるる供華の萩
庭の萩が今年は見事なものだから、どうかとは思ったが仏壇に供えてみた。
今朝扉を開けるとやはりいくつかの花弁がこぼれていて、お水にもこぼれそれがうまい具合に水に浮いているのだった。
白い花弁と閼伽の器とを対比させたらおもしろかろうと詠んでみた。
肩過ぐる丈にひとむら薄生ゆ
今日も在原神社の話。
この神社の「ひとむら薄」とは謡曲「井筒」の地謡、
名ばかりハ
在原寺の跡古りて 在原寺の跡古りて
松も老いたる塚の草
これこそそれよ亡き跡の
一叢ずゝきの穂に出づるハ
いつの名殘なるらん
草茫々として露深々と古塚乃
まことなるかないにしへの
跡なつかしき氣色かな 跡なつかしき氣色かな
に謡われる「一叢ずすき」からとられたもので、業平の魂があらわれたものだと解釈されるが、いっぽうでこの節からは相当以前からこの寺が荒れていたことが想像できる。
実際今植えられている薄は背が高く、まるで葦にまがえるほどだが、正真正銘薄でこの時期ようよう穂を出しはじめていた。
句意は全くの言葉遊びで、
筒井筒井筒にかけしまろが丈過ぎにけらしな妹見ざるまに
くらべこし振り分け髪も肩過ぎぬ君ならずしてたれか上ぐべき
をもじったにすぎないのであるが。
ひとむらの竹をよるべの秋蚊とも
デング熱とかいう蚊を媒体にした伝染病が騒がれている。
蚊−>人−>蚊−>人。。。どっちが元の宿り主なのか、鶏か卵かどっちみたいな話でよく分からぬが、こうしたウィルスは人が世界各地を行き交う時代ともなれば、どこにでも伝播してしまうものなんだろう。
吟行などで竹や木が茂ってるような所など、今の時期はまだまだ蚊が多くいる。歳時記では「秋の蚊」を辛うじて秋まで生き残った弱々しい蚊を言うのだが、温暖化のせいか9月といっても気温が高い日がつづくので、どうしてどうして最近の蚊は大変元気なのである。
そのあたりを詠むのも句にはなるけれども、これからは辺鄙な場所だからといって安心はしていられない。吟行といえども、虫対策はしっかりしておかねばならない。
明後日は俳句会本部主催の明日香村吟行。大変広い場所を2時間弱くらい歩き回って七句出句というのは結構きついものだが、蚊に遭遇したならば「秋の蚊」に詠み込むくらいしたたかに参らねばとてもものにはできないと思うのであるが。
露けしや歌仙とぶらふ寺の句碑
一叢芒を見ようと天理市石上櫟本町にある在原神社(在原寺跡)を目指した。
現在は神社になっているが、明治初年頃までは在原寺だったという。ここでも明治の愚策、廃仏毀釈があって本堂、庫裡などは市内の別の寺に移築されたという。創建は9世紀、業平の死後その邸(別邸?)跡に建てられたとされる。
ナビにもないので、道行く人に尋ねたりしてようやく天理IC脇にその跡を探し当てた。
折から雷が鳴り出し、大粒の雨も降ってきて長居はできなかったが、ひとあたり見てくるにも十分すぎるほど狭くて、寺の跡というよりは小さな公園といった風情である。
謡曲「井筒」の舞台でもあり、伊勢物語「筒井筒」に因むという説もある井戸や、一叢芒、夫婦竹(業平竹)もそれらしくしつらえられているのが興味深い。
ただ、?と思ったのが芭蕉の句碑で、
鶯を魂にねむるか矯柳
調べてもこの句と在原神社との関わりは分からなかった。
逆に歌碑のひとつもないのが言いようもなく悲しいのであった。