夫婦して西瓜の種の数比べ
食べたあとの皿を見る。
今日は種の数が随分違うな。
同じ西瓜を食っても、種の多い部分とそうでない部分があるらしい。
今まではあまり気にしなかったが、一度そういうことがあってからというもの自然に相方の皿をのぞく癖がついた。
西瓜は秋の季語だが、他に色々果物が出回ってきてその旬を過ぎた感があるのは否めない。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
夫婦して西瓜の種の数比べ
食べたあとの皿を見る。
今日は種の数が随分違うな。
同じ西瓜を食っても、種の多い部分とそうでない部分があるらしい。
今まではあまり気にしなかったが、一度そういうことがあってからというもの自然に相方の皿をのぞく癖がついた。
西瓜は秋の季語だが、他に色々果物が出回ってきてその旬を過ぎた感があるのは否めない。
顔半分覆ひ耐へたる秋日傘
目許涼しいという言葉がある。
顔がはっきりと見えるのが条件であることは言うまでもない。
今年はどうか。
暦では秋とはいえ、猛暑は相変わらず。街行く人はマスクも外せず、その表情を読むことはできない。
日傘をさす人もおおく、ますます目許をのぞくことは覚束ない。
それにしても40度超えの現地へわざわざ出向き、帽子もかぶらず日傘もささない家族連れがあるとは狂気の沙汰ではないか。
盆僧のさらに先師に似てきたる
暑い。
お墓に長く立ってられないほど暑い。
家に帰ってくれば西日の当たる玄関ドアで火傷しそうである。
すっかり忘れていた葭簀を引っ張り出してきて玄関を覆って少しはましになったかなという程度。
ほんらい冷房の好きでない猫どももエアコンの前ではすやすや休んでござる。
誇らしく故郷の名負ひ梨子届く
雲出川河口のデルタは三重梨の一大産地。
毎年その町の名を冠した立派な香良洲梨を頂いているが、今年もその季節がやってきた。
信州からのいただきものの桃がちょうど食べ終わる頃到来した梨が、しばらくの間食後のデザートとなる。
食欲の秋だけは間違いなく進んではいるようである。
値頃とも言へざる馬の胡瓜かな
旧盆に入る。
本来なら、この時期の朝夕などはあきらかに秋だなと感じる気配があったものだが、今日もまた35度を軽く越えたようだ。
葉物野菜などはかなり高いというから、気候異変や猛暑が影響していることは間違いない。
茄子や胡瓜の馬を用意するのだってムダないように使わなくちゃね。
ニュースでは獲れるかどうか分からないと言いつつ出港してゆく秋刀魚漁船の話題が報じられていた。
韮の花摘みてメニューに加へんか
何回収穫したろうか。
春からこの方、後半は刈っても刈っても週に一回は収穫せねばならぬほど伸びてきて、韮のたくましい成長力に感心したものだ。
それが、ここ十日ほどは蕾が出てきて葉の成長は止まったようだ。
韮の花は食べられるというからみんな出揃うのを待っているうちに、早くも蕾が開いてきてしまっているのある。
とまれ花が咲ききってしまえば株が弱ると言うから、早く刈るに越したことはない。
遡り来し川をルートの帰燕かな
早朝に燕の群れが電線にとまっている。
それも家の真ん前だ。
二、三年前にもこういう景色は見た。ここら辺りで育った燕たちが南へ帰る第一歩ではないかと思う。
盆地では南への途上に集まると場所として平城京跡が有名だが、この子たちがわざわざ平城京跡に戻るのは不自然である。
春先早い時期に海から大和川沿いに登ってくる燕を見たので、この子たちも大和川へ出て大阪から淡路、四国経由のルートをたどるのではないだろうか。
素人がこんな推理を楽しむことができるのも、身近にこんな珍しい集合風景を目撃できるからでたいへんありがたいことである。
今シーズンは燕をあまり見ないと嘆いていたが、知らないどこかでしっかり子育てしていたのだろう。
来シーズンまでこの町内は燕のいないブロックになる。