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抜道の知る人ぞ知る曼珠沙華

彼岸花とはよく名づけたものだ。

いつも楽しみにしている大和川堤防の曼珠沙華がこの秋彼岸の時期にいっせいに開いて、堤防の道の内に外に楽しませてくれる。ここは、地元の人以外はあまり走らないルートで、この抜け道とも言えるような狭い道は普通のナビではまず採用しない道路である。もっとも最近は妙に精巧なアプリがあって、その恩恵にあずかる人もあろうが。
この彼岸花は、昔は墓地などに咲いて死人花といわれ忌み嫌われることが多かったというが、いつ頃からだろうか、いまでは田を守る花として、モデルとして人気の花である。
あと一週間あるいはもっと楽しめるだろう。

全没

えのこ草飛んで銀座のビルの上

今日の席題は「狗尾草」。

世話役が当日発表するわけで、役得であらかじめ作っておくことができるが、前回も今回も権利を行使せず。
昼の握り飯を屋上ガーデンで食っていたら、掲句が浮かんだのだが。
ちょっとあざといというか、絵に描いたような嘘のような気もして投句せず。
で、前日練りに練った出句すべて没。

ショップ

虫売に売るほどすだく虫の宿

台風が近づいているというが、当地はいつもの静けさ。

今夜も虫の夜である。
明日の例会の題の一つが「虫売」であるが、いまどき天秤棒をかついで売り歩く光景など見るべくもなく、たいがいがショップで扱うものとなっている。
夏はカブトムシ、秋はスズムシなど。郊外の道路脇のにわか小屋、あるいはペットショップなどだろう。
庭も隣の更地も虫、虫、虫だが、人気のスズムシはいるのかいないのか、それは分からない。ときに、「あ、今鳴いた」と思うときもあるのだが。

お裾分け

さ牡鹿の泥振りたてる大路かな

道路脇の側溝が沼田場になっているようだ。

しばらく心地よさそうに沈むものがいる一方で、泥をしたたらせて大きな牡鹿が出てくるときある。そうなると、観光客でごった返す歩道に悲鳴があがり、さらに油断しているといきなり泥を振り落とすように身震いするやつもいてとんだお裾分けをいただく羽目になる。
沼田場で泥をこすりつけるのは体を冷やすほかに、体についた寄生虫などをふるい落とすのが目的だと言われているので、なんとも厄介なお裾分けではある。
10月からは鹿煎餅が3割も値上げされて一包み200円になるそうである。一部分が奈良の鹿の保護活動に使われるということだし、煎餅をやるのが楽しみの観光客にとっては150円も200円もたいしてかわらないと思われ、売り上げは大きく減ることはあるまい。

秋の空はなぜ高い

冷やかに間違ひ電話切られけり

明日朝はさらに冷えるという。

盆地の朝の涼しさは格別だ。秋冷を直に感じることができて、暑い暑いと言ってるうちにすぐに秋は過ぎてしまいそうである。
今見ている気象情報では、秋の雲の位置が高いのだという。つまり天高しとは雲高しのことでもあるのだ。

ところで、週末の台風の行方が気にかかる。
一番台風の影響を受けると思われる日曜日が例会の日に重なるのだ。今まではやだなあと思えばいつでも欠席できたが、幹事となると自分のことはともかく開催の可否も含めて責任を負わなければならないし。
無事に逸れて欲しいと願うばかりである。

あきらめた

風入れて虫の音入れて草の宿

いやあ、よく鳴いている。

一体何種類の虫がいるんだろうか。
ここ二、三日夜が涼しいので窓を開けて風を入れているのだが、今までエアコン入れて外界の音をシャッタウトしていたせいか、あまりの賑やかさで驚くばかりである。
インターネットで虫の名前を突き止めようとしても、あまりにも虫の種類が多く、かつ鈴虫、松虫のように分かりやすいのはともかく、みんなよく似ていてさっぱり特定ができない。
ともかく、特定することはあきらめて、虫浄土の世界に身を委ねるのがよさそうである。

無上の食べ物

早稲の香や迫田を奔る山の水

今でこそ全国的に有名だが、かつて熊野の丸山千枚田はひなびた山村であった。

バスは日に三便のみ、新宮と熊野の奥地・神川町を結ぶボンネットバスが、あえぐように風伝峠にたどり着いてそこで一服したあと、再び目的地へ向かう。
やがて目の前に千枚田の丸山が開けてきて、そこを大きく縫うようにしながら、ガタガタの道をバスは行くのだ。お盆休みくらいしか帰らないので、収穫が近くなった千枚田の風景は知らないが、青々とした稲田が一面広がっている光景は今でも思い出すことができる。
終点一つ手前の集落が父や母の郷で、南側に山を控え田も狭く畑だって石がごろごろしているような、それこそ寒村という言葉がぴったりの鄙びた村だったが、村の中央には南北朝時代の砦跡があって、それが南朝方の豪族の名を冠した神社となっているのだった。熊野川上流のこのあたり一帯は、南朝方に与して親王をお迎えして戦ったという気骨だけが残っているような空気もあったのだが、今や消えゆくのを待つと言うだけの限界集落となってしまっている。
夏は鮎、秋は山で採れた見たことのないような茸、それぞれに忘れられない味覚が体にしみついていて、今でもときどき鮎の甘露煮、鮎の出汁を使った素麺が無性に食いたくなる。これだけは全国のどこにも負けない無上の味だと信じているのだ。